退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

3年理科「地面のようすと太陽」

理科「地面のようすと太陽」(2/9)を参観しました。

1時間目に外で影踏み遊びをして、2時間目はそのとき気がついたことを書き出すところから始まりました。「しゃがんだら影も小さくなった」「影は太陽と反対にできる」「体を動かすと影の向きが変わる」「日陰では影はできない」「影は自分について来る」など、子どもたちはたくさんの気づきを書けました。

次は班の中で友だちとノートを交換して読み合います。「同じだね」と思ったら赤い付箋、「疑問だね」と感じたときは青い付箋を貼ります。内容について付箋を貼るという作業があるので、子どもたちは真剣に読んでいます。班の全員と交換して自分のノートが返ってきたとき、付箋が貼ってあるのを見てうれしそうです。「似ていること」「疑問」が見て分かりやすくなっているところもよかったです。

授業の後半は、自分の気づきをノートから一つ選んで横長の紙に書き出して、黒板に分類しながら貼っていきました。全員に発表させたところはよかったです。しかし、文字が小さくて読みにくかったです。分かりやすい「仲間分け」にはなりませんでした。作業の過程がみんなで共有できる「分類」になるといいですね。

 

授業の前半はとてもよかったです。気づきがたくさんあって、意欲的に学習できていました。では、後半をどのように改善すればよいのか考えてみました。

子どもたちは自分の気づきをノートに書いていましたが、これを大きめの付箋に書かせます。

書いた付箋は、はじめは自分のノートに貼っておきます。いくつかの「気づき」が書けたところで、班学習にします。真ん中に大きめの画用紙を置いて、その周りにみんなのノートを開いて並べます。班のみんなでお互いの付箋を読みながら、似ているものを探します。似ているものが見つかったら、他の子たちに説明して、それを画用紙に寄せて貼ります。

付箋の仲間分けができたら、それをマジックで囲んで、見出し(キーワード)をつけます。教師は班全体を見て回り、全体で共有できる分類を探しておいて後で紹介します。すべての班の分類表(画用紙)を黒板に貼って、共通点を子どもに見つけさせます。よいまとめ方、よい疑問などを見つけることもできるでしょう。この気づきや疑問から学習問題ができるといいですね。

「超」勉強力 

「超」勉強力 中野信子 山口真由   プレジデント社

 

オンラインの英語学習を続けている。もう1年以上、200回を超えた。毎日はできないが、週に数回は必ず受講するようにしている。続けている理由は楽しいから。その楽しさについて考えてみた。

レッスンの教材はニュース記事。毎回、必ず予習をする。単語の意味を調べてから全文を訳して書き出している。

はじめに見出しについて質問があり、続いて単語の意味を確認する。数パラグラフごとに質問される。内容を理解できているのか試すための質問。それが終わると「要約を言ってみて」と言われるので、記事の内容を短くまとめて伝える。

次は討論。毎回4つの質問を事前に提示されているので、自分の考え(意見)を述べる。ここが一番うれしさを感じる瞬間。「私も同じ考えです」「それは知らなかった。いいね」相手も生徒に自信を持たせるために言っているのだろうが、これは本当にうれしい。結局、これが自分の学習意欲の源になっている気がする。「あなたの考えは興味深い」「あなたとまた話したい」違う国に住み、違う言葉を話し、違う文化を持つ人が相手であることも伝え合う喜びを倍増させる。

 

だからわたしは、フランス人から見て、「この人は東洋の面白い考え方を持っているな」「中野さんと話したいな」と思ってもらえる人になりたい。

仕事で外国語を使ううえでも、そんな部分のほうがずっと大切です。ただ、外国語が話せるだけの人ではなく、「話すといつも新しい発見があるな」「なんか元気がでるな」と相手に思わせる言葉や情報を提供できる人が、これからの時代に活躍できる人ではないでしょうか。(同書42ページ)

 

お互いが喜びを感じる伝え合い。これこそコミュニケーションの最も大切な要素。楽しく学び続けることで毎日の生活は豊かになる。

「ユージン・スミス 楽園へのあゆみ」土方正志

なぜユージン・スミスに惹かれるのか。

水俣とユージンの名は、小さい頃から何度も耳にしている。

水俣がある熊本は私が育った福岡のとなり。

日本の公害、そして水俣がニュースになった1960年代から70年代にかけては私が小学校から中学校へ進む時期と重なる。

その頃に見た新聞やテレビのニュース映像で「ミナマタ」を見たことを覚えている。 

 

この前、ニュースであのジョニー・デップがユージ・スミスを演じた「ミナマタ」という映画が完成したことを知った。

ジョニー・デップは何故か気になる俳優。

シザーハンズ」「チャーリーとチョコレート工場」「スリーピーホロウ」そして「エド・ウッド」。人の心の複雑さを表現できる役者だと思う。

 

小学校の図書室でユージン・スミスを探したらすぐに見つかった。

子供向けに書かれた本なので一気に読み終わった。

読み終わった衝撃は言葉に表すのが難しい。

写真に対するとてつもない情熱。

それは被写体への思いと言った方が正確なのかもしれない。

そうかと思うと、気まぐれでわがままなところもある。

つまり、どこまでも人間的なのである。

苦しめられた人たちへの限りない愛情もあれば、身近な人への裏切りともとれる不誠実さもある。

不屈の精神力を持ちながら、同時に見せる人間的な弱さが切ない。

近代化の犠牲となった人々のために戦った一人の人間の生涯が心から離れない。

 

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2年生 道徳科「あいさつがきらいな王さま」  

共に学ぶ姿勢を示す

 

道徳科「あいさつがきらいな王さま」を参観しました。

道徳は、表面的で形式的な学習になりがちです。

そうならないようにするためには、「教師が子どもと一緒に学んでいる」という姿勢を示すことが大事です。

「先生も明るい挨拶ができないときがあります。疲れていて明るい声が出せないとき、相手の人をよく知らなくて恥ずかしいときなどです。もっと元気な声で挨拶すればよかった。笑顔になれなかったなあ、と思ったことがあります」のように、教師も自らの不完全さを自覚し、それを伝えれば、子どもたちは自分を振り返り、深く考えることを促します。

「先生もみなさんと一緒に考えます」というメッセージを伝えることで、道徳的価値の理解を自分自身との関りの中で深めることができるようになると思います。

道徳「心の優先席」

1 自分で気づかせること

道徳「心の優先席」を参観しました。導入では優先席の写真を見せて、子どもたちを引きつけ関心を高めていました。「優先席は誰のためにあるの?」と問いかけると、「お腹に赤ちゃんがいる人のためです」「足が不自由な人です」「おじいさん、おばあさんです」と答えていました。「優先席は何のための決まりか」という問題意識を持たせることができました。

授業では、3人の考えについて、まずみんなで確認してから、図に表してその共通点を探るという展開でした。ベン図を中心とした板書は子どもたちの理解を助けたと思います。しかし一方で教師の説明が多くなっていました。教師が読み聞かせた後、詳しい説明はしないで、すぐに3つの意見について考えさせてよかったと思います。意見1は「優先席でない人はゆずらなくていいのか?」、意見2は「近くの人は譲らないといけないのか?」「離れていたら譲らなくていいのか?」、意見3は「ゆずりたいと思わない人は譲らなくてもいいのか?」「ゆずりたいと思う人が誰もいなかったらどうするのか」などの多くの疑問を引き出すこともできます。それらの気づきを交流する中で、「決まりは必要だ」「決まりは守りたい」「決まりはみんなのためにある」「決まりがなくても親切ができる人になりたい」などの多様な考えが出せるようになります。

2 交流では立場を明確にする

考えを交流させるときには、まず自分の立場をはっきりさせることが大切です。立場を決めたら、ノートやワークシートにそれを書きます。黒板に自分のネームプレートを貼ることも効果的です。立場をはっきりさせ、それをオープンにすれば、参加意識が高まります。それを見て、子どもたちは自分の選んだ意見を見直し、他の意見も知りたいと思うようになります。そして、なんとなく選んだけどその根拠が明確になったり、反対にマイナス面に気がついたりします。子どもたちには、「考えは変わっていいんだよ」と伝えておきます。黒板のネームプレートを動かす時間をとることもあります。「はじめは気が付かなかったけれど、みんなと話し合って気づいた。考えが変わった」という感想が出るようになるといいですね。

 

「猫を棄てる」村上春樹 文藝春秋

村上春樹に対して、私は少し年上の兄のように感じるところがあった。

村上さんの父親は戦争に行った世代だが、私の父は出征直前に終戦を迎えた。

この本は村上さんと父親との最後の交流の場面がある。

そのとき村上さん60代、父は90代。それは現在の私と父の年齢と同じ。

この本を読むとき、つい自分と父の関係を重ねてしまった。

 

私は記憶をつまらないものとは思わないが、それほど貴重なものとも考えていない。

考えすぎないようにしている、と言った方が正確かもしれない。

昔はよかった、となるのがいやなのだ。

しかし、この本を読みながら記憶の価値について考えた。

村上さんも昔を懐かしむより現在が重要だと考えるタイプの作家だと思う。

読者もそれに気づきながら、というよりも、だからこそ村上春樹の語りに引き込まれる。

読者に強制しない。けれどもいつのまにか共感してしまう。

物語のようなこのノンフィクションを通して、父について、記憶について考えた。

 

 

 たとえば僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てに行ったのだ。そして僕らは共に、その猫にあっさりと出し抜かれてしまったのだ。何はともあれ、それはひとつの素晴らしい、そして謎めいた共有体験ではないか。そのときの海岸の海鳴りの音を、松の防風林を吹き抜ける風の香りを、僕は今でもはっきり思い出せる。そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。 「猫を棄てる」村上春樹より

「村上T」村上春樹 マガジンハウス

4年前に初めてブロードウェイでミュージカルを見た。

ウェブでチケットを買ったので、それ以来定期的に新作のお知らせが届く。

ブルース・スプリングスティーンの公演のお知らせが来たときは驚いた。

彼の生涯がミュージカルになったのかと思ったら、どうも本人の公演らしい。

見たいけれど、チケットは手に入らないだろうとあきらめた。

この本を読んでいたら、村上さんがこの公演を見たことが書いてあった。

そうか、やはり普通には手に入れることができないチケットだった。

それに何と850ドル!

 

この「村上T」、ファンにはたまらない1冊。

思い出のTシャツについて、「実はこれはね・・・」と本人から楽しいエピソードを聞かせてもらった気分です。写真もさわやか!

ところで、村上春樹ブルース・スプリングスティーンは同世代。

この前、「村上radio」で本人が言ってましたが、あの菅官房長官も同じ年らしい。

一瞬、Tシャツを着た菅官房長官と記者会見を仕切る村上春樹を想像してしまった。

うーむ、人生様々・・・。