退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「武漢日記」 方方(ファンファン) 

武漢日記」 方方(ファンファン) 河出書房新社

武漢新型コロナウイルスのため封鎖されていた期間、女性作家がブログを通して、そこで起きたこと考えたことを発信し続けた。文章に熱があり、読者を引きつける。このような非常時には人々の善意と悪意が表に出てくる。多くの死、悲しみ、やりきれない思いがあふれているがその中で強く生きる人々が描かれている。政府の対応の間違いに対して厳しく批判する一方、よいところも見つけ、基本的には協力の姿勢を持っている。中国は自由な論議はできないのではないかというイメージは覆される。筆者の文学への姿勢にも強く共感した。ここに引用する。

 

 小説とは落伍者、孤独者、寂しがり屋に、いつも寄り添うものだ。ともに歩き、援助の手を差し伸べる。小説は広い視野を持って、思いやりと心配を表現する。ときには、雌鳥のように、歴史に見捨てられた事柄や、社会に冷遇された生命を庇護する。彼らに伴走し、温もりを与え、鼓舞する。あるいは、こうも言える。小説自体が、彼らと同じ運命にある世界を表現することもあり、彼らの伴走、温もり、鼓舞が必要なのだ。この世の強者や勝者は普通、文学など意に介さない。彼らの多くは、文学を単なる装飾品、首にかける花輪のようなものと見なしている。だが、弱者たちは普通、小説を自己の命の中の灯台、溺れかかったときにすがる小枝、死にかけたときの命の恩人と捉えている。なぜなら、そんなとき、小説だけが教えてくれるからだ。落伍してもかまわない。多くの人があなたと同じなのだ。あなた一人だけが孤独で寂しいのではないし、あなた一人だけが苦しく困難なのではない。また、あなた一人だけが気をもみ、くじけそうになっているのではない。人が生きるのには多くの道がある。成功するに越したことはないが、成功しなくても悪くない。

 

彼女はテレビ局で働いた経験があるので、中国のメディアの本当の姿も伝わってくる。ニュースの記者たちは板挟みになっている。上からは規制を命じられ、人々からは真実を報道せよと迫られる。では、日本には適正な報道があるのかと問われると答えに窮する。様々なことを考えさせる貴重な記録。何度も読み返したい。