なぜサハリン(樺太)に惹かれるのだろう?
多くの人が集まる華やかな場所ではなく、地図の上でも歴史の流れの中でも、片隅にあるものが気になる。
私が今いちばん気になるのがサハリン。
宮沢賢治はこの地をサガレンと呼んだ。
ロシアにとっては遥か極東の地、帝政時代の流刑地。日本からは北海道よりも更に北。戦前は日本領だったところ。
現在この地には、日本の工場や鉄道の跡が残っている。私は、歴史や人間について考えるとき、このサハリンのような辺境から本当の姿が見えてくるような気がする。
この本はサハリン訪問のルポである。
梯さんは、林芙美子、北原白秋、宮沢賢治らの紀行文や詩などの記述をたどりながらこの地を旅する。昭和天皇(皇太子のとき)、チェーホフ、村上春樹も登場する。
宮沢賢治とチェーホフの関係も興味深い。チェーホフがサハリンを訪れたのは1890年、その33年後、1923年に賢治がこの地を旅している。
賢治にはチェーホフが登場する詩がある。関心があったのだろう。
それはチェーホフがサハリンに来る20年前にこの地で暮らした一人のロシア人のこと。
M・S・ミツーリというその農学者は、学者でありながら道徳タイプ、勤勉家で夢想家。
まさに賢治のような人物だった。
チェーホフはこのミツーリという人物に好感を持ち、詳しく調べている。
ミツーリ、チェーホフ、賢治。サハリンを舞台に時を隔てて3人の人生が交錯する。
しかも、ミツーリは賢治とよく似た人物である。
何という不思議なめぐり合わせだろう。
この本は、宮沢賢治の詩を読み解くための優れたガイド本にもなっている。
私は賢治の童話は好きだが、詩は苦手だった。
しかし、この本を読みながら、まるで霧が晴れるように賢治の心の風景が見えてきて驚いた。
賢治のサハリンへの旅は妹を亡くした後の傷心の旅であった。
賢治にとって妹トシは最高の理解者であり伴走者。
この度の前半、賢治は妹の死を受け入れることができずに苦しみもがいていた。
それが、旅の中で少しずつ癒され明るさを取り戻していく。
それを私たちはこの本を通して追体験できる。
私は梯さんのファンになった。
「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」「原民喜 死と孤独の肖像」「廃線紀行 もうひとつの鉄道旅」「昭和二十年夏、僕は兵士だった」などの著作がある。次はどれから読もう。