退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「出口版 学問のすすめ」 出口治明

先週は指導要録の書き方についての資料を作りました。

今年度から指導要録が変わりました。

文科省は教師の負担軽減の観点から記述の簡素化を促しています。

変更点、留意事項、記入忘れが起きやすい箇所についてまとめました。

さて、今日は出口治明さんの本を読んで考えたことを書きます。

 

「出口版 学問のすすめ」 出口治明 小学館

 

日本が新型コロナウイルスの大きな危機に直面してもう1年が経過します。

この期間、今まで見えにくかった様々な社会の不備が明らかになってきました。

その一つは、日本は危機に対する備えがほとんど何もできていなかったことです。

台湾や韓国などは2003年のSARSの経験からもしこのようなことが再び起きたらどうするのか、という対策すでに行われていました。

それに比べて日本は合理化、効率化の名目で逆に医療体制は縮小されていました。

保健所の数も病床数も少なくなっています。感染症に対する備えはほとんどできていなかったことが分かりました。

そしてこの1年の日本の危機対応を見ていると、とても適切とは思えません。

危機管理の基本は最悪の事態を想定することです。

どんな事態が想定されるのか、その場合にどう対応すればいいのか、プランAがいいのかプランBがいいのか、それについて時間をかけた丁寧な議論が必要なのにそれが行われていません。

いつの間にか深刻な政治の劣化が進んでいることが分かりました。

それは私たちの責任です。

私たちが言葉に対して厳しさを失ったことが原因だと思います。

 

言葉と思考

人間は言葉で考える生き物であり、言葉は思考の手段です。その言葉をきちんと使いこなすことができれば、物事を考えるための強い武器になるでしょう。逆にいうと、言葉をいいかげんに使っていれば、物事を深く考えることはできません。

 

勉強は、まず大人から始めよう

一部の人は問題意識を持っていると思いますが、社会全体としては、危機に反応する力が衰えているように見えます。それは、「メシ・フロ・ネル」の長時間労働の中で勉強する時間が持てないからです。それは一般の人たちだけでなく、新聞社や出版社、テレビ局などのメディアも同じで、客観的な相互検証が可能なファクトに基づいた報道を必ずしも行っていないように感じます。加えて、いまや日本全体に学ぶ意欲がなくなっており(その象徴が、海外で学ぶ留学生の減少です)、それが日本の衰退に結びついているような気がします。

メディアは何よりもファクトチェックを行い続けなくてはならないのに、逆に一部のメディアは人々を惑わすような言説をまき散らしており、しかもそれがウケるので粗悪な情報が拡大再生産されています。反中本、嫌韓本、そして日本礼賛本が根強い人気を保っているのは、悪貨が良貨を駆逐する好例でしょう。中国の書店に行っても、「日本はこんなにひどい国だ」などと主張している本はほとんど見られません。それよりも中国の皇帝や、偉大な漢民族の歴史に関する本、ベンチャーやビジネス本が大勢を占めています。

 第1章で、常識を疑うことの大切さに触れましたが、「酸っぱいブドウ症候群」にともなう歪んだ発言には気をつけなければいけません。一見もっともらしくて、傷ついた自尊心を癒してくれるように見えますが、問題の根本的な解決には何の役にも立たないからです。

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