昨日、土曜日はT小学校の運動会でした。
開会式と閉会式に参加するのは6年生だけ。
他の学年は教室からリモートで参加。
各学年、表現運動と徒競走、2種目の発表です。
出番のときだけ運動場に出て、終わると教室からスクリーンで観戦します。
演技中は黙って動く、声を出して応援もできない、校歌も歌えない。
それでも、子どもたちはいい笑顔を見せていました。
「学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか」 工藤勇一 鴻上尚史 講談社現代新書
この本で工藤さんが紹介する、若者の意識調査の結果にはおどろかされます。
自分の国に解決したい社会課題がある 27.2%
自分で国や社会を変えられると思う 18.3%
自分は責任ある社会の一員だと思う 44.8%
自分を大人だと思う 29.1%
(日本財団 2019年 17~19歳各1000人対象調査)
この調査は世界9か国、インド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツ、日本の若者に国や社会に対する意識を聞いたものです。
日本の数値はどれも他国の半分程度。
これは、子どもに自律をさせない日本の学校教育がもたらした結果です。
そして、多くの日本の大人たちの意識を鏡のように映した結果だとも言えます。
日本の学校を思い浮かべてみましょう。
「自ら考えて行動できる子どもを育てる」という教育改革のスローガンは何度も唱えられてきましたが、実現できていません。
一方で、全体の意見に合わせることに重点を置いて、他と違う意見を出すことは控えるような傾向を生み出しています。
自律を促す教育、多様性を受け入れる教育を最上位の目的としなければなりません。
学校では、課題の本質について十分に対話させることなく、とにかく「協調すること」「仲良くすること」と押し付けていないでしょうか?
工藤「人間はみんな違うし、だからこそ、対立が起きるのも当然だと教える。協調性も重視されなくていいし、みんな仲良くしなくてもいい。『絆』とか『心をひとつに』なんてのも、無理やり押しつけるものじゃない。それぞれの違いを乗り越えていくためにどうしたらいいか。それを教えるのが教員の役目だと思っています。」(本書83ページ)
対話を十分に行わないまま、教師が「仲良くしましょう」とまとめてしまうと、自律した子どもを育てることはできません。
自律できない子は、うまくいかないことを他人のせいにします。
うまくいかないのは、友だちが悪いから、クラスがよくない、先生のせい、という思考に陥ってしまいます。
対話を通して意見の違う他者と折り合いをつけることができるようになった子は、まずは自分で考えるようになります。
自分で考えることができるようになった子は、「人のせいにしない生き方」ができるようになるのです。
当たり前のことですが、自分の生きている「社会」をよりよいものに成長させていくためには、そこにいる一人一人が「社会の当事者」として成長できなければならないということです。一見不可能なことのように感じるかもしれませんが、学校という場はそれが学べる、大切な場所であることを僕は自らの体験を通して確信することができたのです。
そのために特に重要なことは「対話」です。
お互いの違いを理解しながらも、全員がOKなものを見つけ出すための「対話」。このプロセスを全ての子どもたちに学ばせることさえできれば、社会は確実に変えられます。(本書 「おわりに」 工藤勇一)