先週は、1年次教師のダンス指導を見ました。
表現(ダンス)には、「災害からの復興」「日が昇るように」「チャレンジ精神」などの意味が込められていました。
1時間の展開を表で見せて、動画や写真でポイントを提示する指導は具体的でとても分かりやすかったです。
次の土曜日は、体育発表会です。
「小商いのすすめ 『経済成長』から『縮小均衡』の時代へ」平川克美著 ミシマ社
これは小さなお店の開き方の本ではありません。
これからの経済と社会について考察した本です。
2012年の出版ですが、斎藤幸平さんの「人新世の『資本論』」とつながっていました。
人間を幸せにしないだけでなく、地球を破壊しかねない資本主義に代わる経済システムをどのように構築するのか。
私たちはどのようにして壊れかけた社会を再生していくのか。
その思考の過程が丁寧に綴られています。
私は、戦後しばらくは残っていた地域共同体のことを懐かしく思い出すことがあります。
同じところに住む人たちの結びつきが強かった時代です。
そこには助け合いもありましたが、過干渉もありました。
1960年代の高度経済成長期から個人が尊重されるようになり、地域の互助的な共同体意識は弱くなっていきます。
高度資本主義社会の中で「自分」の確立は極限まで進みました。
私たちが自己決定できる範囲は広がりましたが、失敗すれば「自己責任」として冷たく突き放すようになりました。
現代社会は共同体社会以前の弱肉強食の世界に戻ったとも言えます。
ではこれから私たちはどのような社会を目指せばよいのでしょう。
それは、現在の個人が孤立した社会をそのままにしておくのではなく、高度成長期以前の地域共同体に戻すのでもありません。
目指す方向としては、その中間と言えばいいでしょうか。
それには、ひとつの決まった解答はありませんが、本書で平川さんがヒントを教えてくれます。
それは、「『いま・ここ』に愛情をもつ、責任をもつ」ということです。
自分の身の回りにある「壊れてしまったもの」を修理すること、新しくつくってみること。
社会の仕組み、人と人との関係。
「自分が壊したわけではない」と思っても「修理」してみる。
リターンを期待しない贈与、それができるのが「大人」。
見方を変えれば、災害も格差も貧困も、新しい社会をつくるチャンスになります。
そのために、まずは自分が「大人」にならなくては。
なにかがわかるには、時間が必要なのです。
現在の多くのビジネスモデルは、基本的に時間を無視した、短期的な無時間モデルです。
時間軸を長めにとってみれば、どんな苦境も、人間がつくり出したものであり、それゆえに身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受けることだけが、この苦境を乗り越える第一歩になると、わたしは確信しています。もちろん、短期的に見れば、それですべてが解決するわけではないし、失敗することも多々あるでしょうが、たとえ何があろうとも、小商いの哲学は人間が生きているかぎり生きつづけることになるだろうと思います。
なぜなら、人間とは本来、小商い的存在だからです。(本書より)