退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

マーク・トウェイン著 柴田元幸訳 「失敗に終わった行軍の個人史」新潮文庫

不条理なユーモアと悪夢

1か月前にカナダ人ALTと話したとき、彼女はウクライナのことを大変心配してました。

「何か恐ろしいことが起きそうな気がする」と繰り返し語っていました。

その後、戦争への心配は現実となり、今ロシア軍はウクライナ原発にさえ攻撃を加えています。

 

ウクライナの戦争のことを考えながらこの本を読み返しました。

この作品が発表されたのは1885年、今から100年以上前のことです。

南北戦争に参加した若者たちの奇妙な行軍が描かれています。

彼らは英雄になりたいと思って、自分たちで小隊をつくります。

しかし、戦争の大義は理解できてません。

何でも自分たちだけで決めようとするので、指揮系統もでたらめです。

まるで大学生がキャンプをしているような雰囲気です。

それが途中から敵の襲来に怯える恐ろしい状況となります。

追い詰められたようになってから、一人の男が近づいてきます。

彼らは相手をよく確かめないまま発砲して殺してしまいます。

それはどうやら敵とは関係のない通りがかりの人だったようですが、後悔してもその男が生き返るわけではありません。

戦争は決して英雄的なものではない、ということが口語的なスタイルで表現されています。

 

この作品は、米国でベトナム戦争が激しかった頃に再評価され、多くの若者に読まれました。

出てくる人物は何かしら過剰であり、人物描写はコメディのようです。

戦争の実態をこのような形で描いたマーク・トウェインの才能には驚くばかりです。

 

 男は軍服を着ていなかったし、武器も持っていなかった。この地方の住民でもなかった。男について私たちにわかったことはそれだけだった。彼をめぐる思いが、毎晩私を苛むようになっていた。私はその思いを追い払えなかった。どうやっても駄目だった。あの無害な命を奪ったのは、この上なく理不尽なことに思えた。そしてこれが、戦争というものの縮図に見えた。すべての戦争は、まさにこういうことにちがいない—自分が個人的には何の恨みもない赤の他人を殺すこと。ほかの状況であれば困っているのを見たら助けもするだろうしこっちが困っていたら向こうも助けてくれるであろう他人を殺すこと。私の行軍は、いまや損なわれてしまっていた。

f:id:shinichi-matsufuji:20220306155514j:plain