退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

誰も奪えぬこの想い 「この世の喜びよ」(井戸川射子)

私の愛聴盤「エラ&ルイ」(エラ・フィッツジェラルドルイ・アームストロングのデュエット)。その中でも一番好きなのが「誰も奪えぬこの想い(They Can't Take That Away from Me)」。思い出とは不思議なもので、大きな出来事よりも日常の何気ないことの方が強く残ることがある。お茶の飲み方、音程のはずれた歌、笑顔…。そんな小さなことが忘れられないことがありますよね。

 

「この世の喜びよ」(井戸川射子)を読んだ。毎日の生活の中で現れては消えていく記憶が語られている。小説というか長い詩のようだ。

 

ショッピングセンターで働く中年女性、子どもはもう働き始めている。ふとしたきっかけで知り合った女子中学生との交流。その子には小さい弟がいて、世話をさせられている。女性は話しながら、自分の子どもがまだ小さかった頃の子育てを思い出す。

 

ゲームセンターで働く青年。いつも来ているおじいさん。言葉を交わしながら彼女の心には様々なことがよみがえる。ささやかな喜び、失ったものへの悲しみ。まだ輝いて見えるものもあれば、もう消えてしまったものもある。読み終わって記憶について考えた。普段の何気ないことの中に愛すべきものがある。

 

娘たちが大きくなる前、驚くほど近くにある時には、これがこの世の全てというくらいに肌を擦り合わせた。あの頃は床や地面ばかりを見ていた。砂場の砂にフンが入っていないか、こねくり回して確かめた、一度、カッターの刃が交ざっていた。三人で布団を並べて、あなたは寝転ぶ時には腕と足を少し広げ、左右対称にした姿勢でないと気持ち悪いのに、娘たちがそうはさせてくれなかった。朝起きれば生臭い息を吐きながら、笑って転がり合っていた。咳き込む体を抱けばバネの力を感じた。気の毒に、とあなたは折り重なって眠っていた時の自分に向け微笑んだ。でも、寝ぼけたまま笑っている娘たちを両脇に抱え、明るくなっていく窓を眺めるのは、今でも思い出すほど良かった。南向きの小窓、それは磨りガラスなので朝日がぼんやりと入り、毛布で作った上着を着た二人はぶ厚く温かく、下の娘は寝起きはずっと笑顔で、どんなにまとわりつかれても寝ている姿勢なら、あなたは倒れたりしない。(「この世の喜びよ」井戸川射子著より)