T先生が亡くなられて、もう七年になります。
T先生は福岡市の国語教育を長年リードし、その発展に大きく寄与された大先輩でした。
私がとりわけ記憶しているのは、「とびこめ」(トルストイ)の授業後に行われた協議会でのことです。
「とびこめ」は、次のような物語です。
船での航海中、船長の息子(12歳)が、船に飼われていた猿に帽子を奪われます。
猿はマストをするすると登り、少年をからかう。
周囲の大人たちが笑うため、少年は引っ込みがつかず、怒りにまかせてマストを登り始めてしまう。
やがて少年は、甲板からはるか高い帆げたの上を、命綱もなく歩くという危険な状況に追い込まれます。
そのとき船長である父親は叫びます。
「海へ飛び込め! 飛び込まないと撃つぞ!」
少年は恐怖の中で海へ飛び込み、船員たちの救助によって一命を取りとめます。
当時の私は、トルストイの人と作品についてある程度知っていたこともあり、この作品が道徳的・教訓的な色合いを強く持つ点に批判的な意見を述べました。
そのときのT先生の、「お前は分かっていないなあ……」とでも言いたげな、静かなまなざしを今も覚えています。
この数年、私はトルストイを再読しています。
読み返して気づくのは、トルストイの文学では、読者は単に物語を追うのではなく、登場人物となって人生を体験する ということです。
そこでは、因果関係が単なる説明ではなく、出来事に意義を与える装置 となっています。
「なぜ少年は高所へ登ってしまったのか」
「なぜ父親は『飛び込め』と言ったのか」
連続する出来事の関係性をたどるうちに、読者は物語を読み終えてふと気づきます。
自分がいつも正しいわけではない。
人間には不完全なところがある。
しかし、それでも少しは変わることができる。
自分もこれから生きていけそうだ――と。
ジョージ・ソーンダーズはこう述べています。
「小説の真の美しさは、見かけ上の結論なんかではなく、その過程で読者に起きる心の変化にある」
まさにその通りだと感じます。
T先生と、トルストイについてもっと語り合う時間がほしかった。
今になって、あのときのT先生のまなざしの意味が、少しだけ分かる気がしています。






