退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「猫を棄てる」村上春樹 文藝春秋

村上春樹に対して、私は少し年上の兄のように感じるところがあった。

村上さんの父親は戦争に行った世代だが、私の父は出征直前に終戦を迎えた。

この本は村上さんと父親との最後の交流の場面がある。

そのとき村上さん60代、父は90代。それは現在の私と父の年齢と同じ。

この本を読むとき、つい自分と父の関係を重ねてしまった。

 

私は記憶をつまらないものとは思わないが、それほど貴重なものとも考えていない。

考えすぎないようにしている、と言った方が正確かもしれない。

昔はよかった、となるのがいやなのだ。

しかし、この本を読みながら記憶の価値について考えた。

村上さんも昔を懐かしむより現在が重要だと考えるタイプの作家だと思う。

読者もそれに気づきながら、というよりも、だからこそ村上春樹の語りに引き込まれる。

読者に強制しない。けれどもいつのまにか共感してしまう。

物語のようなこのノンフィクションを通して、父について、記憶について考えた。

 

 

 たとえば僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てに行ったのだ。そして僕らは共に、その猫にあっさりと出し抜かれてしまったのだ。何はともあれ、それはひとつの素晴らしい、そして謎めいた共有体験ではないか。そのときの海岸の海鳴りの音を、松の防風林を吹き抜ける風の香りを、僕は今でもはっきり思い出せる。そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。 「猫を棄てる」村上春樹より