退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

クリスマスの思い出 トルーマン・カポーティ作 村上春樹訳

私が担当している小学校は、2学期制のところと3学期制のところがあります。2学期制の学校は12月25日の終業式に向けて、通信表の作成を始めています。教師たちは夜遅くまで、休日も仕事しています。世界の他の国と比較して、日本の教師は忙し過ぎます。しかし依然として教師の負担軽減は進んでいません。まずは2学期制の導入が効果的です。

さて今日は、米国の作家カポーティの短編小説を紹介します。

 

クリスマスの思い出 トルーマン・カポーティ作 村上春樹

 

村上春樹は高校生のときにカポーティの文章を英語で読んで、自分はこんなに上手い文章は書けない、と感じたらしい。彼が29歳まで小説を書こうと思わなかったのはこのことが原因だと述べている。

村上にそれほどのショックを与えたカポーティだが、その一生は悲しい。不幸な少年時代、ニューヨークに出てきて若くして成功し、セレブとして華やかな生活を送るが、晩年は創作に悩む。最期は親しい人たちとの交流も自ら壊してしまい、薬物とアルコールに溺れて亡くなった。

 

この物語は、主人公「僕」の回想の形式で書かれている。「僕」は家庭の事情で親戚の家で暮らしている。その家には僕と同じような境遇でこの家に住んでいる60歳の女性(いとこ)がいる。二人は温かい家族からも社会からも遠くにいる。光の当たらない者同士、心を通わせていた。

僕と彼女にとって、一年間で一番楽しいときがクリスマス。この日のために1年間少ない小遣いを貯めてフルーツケーキを焼くのだ。そのケーキは大統領やこの1年、言葉を交わした人たちに贈られる。二人は大統領のクリスマスの食卓にこのケーキが並べられている様子を夢見る。

二人もプレゼントを交換するのだが、それは手作りの凧。本当は自転車を買ってあげたいのだができない。彼女は僕に言う、「もし私にそれが買えたならね、バディー。欲しいものがあるのにそれが手に入らないのはまったくつらいことだよ。でもそれ以上に私がたまらないのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。」

しかしこの小さな幸せも長くは続かない・・・。

クリスマスが近づくたびに読みたくなる小さな灯のような物語。

 

「布団の中で目を覚ましたときからもうわかっていたよ」と彼女は言う。こうこなくっちゃと目を輝かせて、窓辺からこちらを振り向く。「郡庁舎の鐘の響きがきりっとして冷やっこかったもの。鳥の声だって聞こえなかった。そうだよ、みんなもっと暖かいところに移っちゃったんだよ。ねえバディー、いつまでもパンなんて食べていないで私たちの荷車をもってきておくれよ。私の帽子も捜しておくれ。これから三十個もケーキを焼かなくちゃならないんだよ」

毎年これが繰り返される。十一月のある朝がやってくる。すると僕の親友は高らかにこう告げる。「フルーツケーキの季節が来たよ! 私たちの荷車をもってきておくれよ。私の帽子も捜しておくれ」と。まるで自分のその一言によって、胸おどり想いふくらむクリスマス・タイムの幕が公式に切って落とされたように。 「クリスマスの思い出」より

f:id:shinichi-matsufuji:20201206155558j:plain