退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「聞く技術 聞いてもらう技術」東畑 開人著 ちくま新書

私の今の仕事は若い教師たちに授業のアドバイスをすることです。授業に関することが中心ですが、学級づくりや保護者対応などについて相談を受けることもあります。だから、「もっと上手に聞きたい」「聞いてもらうにはどうしたらいいのだろう」といつも悩んでいます。この本で紹介されている技術では「沈黙に強くなろう」「返事は短く」で、「そうだなあ」と気づかされました。私は沈黙に耐えられません。相手が話さないと不安になって落ち着かなくなります。相手から何か聞かれると、とりあえず返事をしてしまいます。でも、違う場合もありますよね。こちらが黙って待つことで相手の言葉を引き出せることもあるでしょう。相手の心の動きを察して時には沈黙の中、じっと待つこともできるようになりたい、と思いました。

 

「聞く」と「聴く」のどちらが難しいとおもいますか?

「聞く」の方が難しい、と東畑さんは述べています。考えてみると、何か目的があって聴くことはできます。しかし、もっと日常にあること、例えば家族との会話、近所の人との立ち話において聞くことができていないことはあると思いました。聞くことは難しいのです。社会の分断について嘆いていたのに、ふと振り返ると自分がやるべきことができていないことに気づきます。

「聞くこと」、「聞いてもらうこと」のサイクルが滑らかに動き始めたとき、「社会」はもっと住みやすくなるのだと気づかされました。

 

個人美術館の愉しみ「かみや美術館」

初めての愛知。

福岡なら少し車で走れば山ですが、ここでは山が遠くで見えないほど広い平野が広がっています。

列車が街の中心部から離れると田畑が続いている。

そうか、これが『とよた』!

 

「かみや美術館」は、愛知県半田市にある個人美術館です。

児島善三郎、熊谷守一、村山槐多、長谷川利行など、私が好きな作品が揃っています。

浜田知明「初年兵哀歌」シリーズが全作品あるのは、美術館の創立者神谷幸之氏も出征の経験があるから。

私が行ったとき入館者は一人だったので、絵について詳しい説明を聞かせてもらいました。

浜田のエッチング作品はジブリアニメにも影響を与えているという話が面白かった。

実にその通り、似たキャラクターがいますね。

「福岡から来ました」と話すと驚かれて、帰りは駅まで車で送っていただきました。

車の中でお尋ねしたら、神谷さんの娘さんでした。

神谷さん、ありがとうございました。

またいつかもう一度来ます。

そのときには、別館の新美南吉の家にも行きます。

 

光と陰のアンソロジー  つなぎ美術館

3回目の「つなぎ美術館」。

前回は福岡から新幹線とローカル線を乗り継いで行きました。

肥薩おれんじ鉄道」という小さな電車はジブリ映画のようでした。

今回はプリウスで約3時間のドライブ。

前回はたどり着けなかった野外作品も観ることができました。

《達仏》西野達 2018年

石の中から聞こえてくる津奈木町の歴史に耳を傾けました。

《石霊の森》柳幸典 2021年

美術館の今回のテーマは「光と陰のアンソロジー この世界にただ独り立つ」(平川恒太い、山本草介外山恒一)。

「混沌とした先行きの見えない時代を迎えるいま。本展が多くの困難を乗り越えるための思考を深める機会となれば幸いです」が美術館からのメッセージ。

山本草介さんの映像作品は離島の電気屋家族との交流が綴られています。

無名の個人の人生の中にこそ輝く宝物があることに気づかされます。

少数者の視点から世の中を見ることで多くの発見があることが分かります。

同調圧力が強まる現在の私たちに生きる力を与える企画だと感じました。

 

square.hatenadiary.jp

 

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太著

今日は中州のbills(ビルズ)でチーズサンドを食べました。少し高い店ですが、外国に来たみたいな雰囲気で、気分が上がります。

 

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太

国語力低下の問題は単に学力の問題ではありません。もっと大きな問題、社会全体に関わる重大な危機です。

この本に暴力事件を起こした中学生のインタビューがあります。その子は自分がしたことを言葉で説明できません。言葉の力が身についていないからです。しかし、よく考えてみましょう。言葉が足りないから説明できないのではなく、言葉が足りないから、そもそも考えることができていないのです。自分がしたことの意味が分かっていないということです、

私は最近聞いた問題行動を起こす子どものことを思い出しました。その子は他の子に怪我をさせたり物を壊したりして教師から理由を問われても答えることができません。「あの子は何を考えているのか分からない…」と対応した教師は途方に暮れていました。

この2つの事例に共通すること。説明できないのではなく、そもそも意味が分かっていなっかた。考えるということができていなかったということ。人は言葉を使って思考します。言葉が極端に不足していれば思考できません。

そのような子どもは少なくありません。子どもが家に帰っても、親の帰宅が遅いため、ほとんど会話がない家庭があります。スマホやゲームなどの画面を長時間見続けている子も多いです。その子たちが言葉を発する機会はどのくらいでしょう。

学校の問題もあります。情報教育、英語、食育など学校で教える内容は増える一方で減ることはありません。説明だけの授業、教え込み授業になりがちです。教師は基本的に真面目なのですべてを丁寧に教えようして疲れ果てています。

大変厳しい状況ですが、この本の事例をもとにして私たち教師が学校で取り組めることについて考えてみました。

一つは「経験と言葉をつなぐこと」

何も特別な体験をさせる必要はないのです。生活科、社会科、理科、体育、その他どの教科でも行っている体験活動について、話したり書いたりして、言葉にする時間を充実させること。体験したことを言葉にする練習。書くことを通して対象を見つめる力をつけるのです。体験の中から価値あることを見つける力があるといいでしょう。同じ体験をしても人はそれぞれ感じることが違うことも学ばせたいですね。

もう一つは「対話を充実させること」。

中学校の哲学対話の実践例が参考になります。「生きるとは何?」「なぜ差別は生まれるのか」などのテーマで対話が進みます。生徒の一人は対話の意義について次のように語っています。「人の話を聞くことで語彙力がアップするとか、話をすることでコミュニケーション力を磨けるというのはあります。でも、ぼくが一番良かったと思うのは、相手を理解しようとする姿勢が身につくことです。相手の意見を尊重できるようになると、生きることがすごく楽になるんです」

以上のことは、学校教育の重点としてすでに取り組まれていることです。現行学習指導要領では「対話」がキーワードとなっています。

国語力をつけることは、子どもたちが幸せで充実した人生をおくるための必須の課題です。日々の教科指導の中で、話す書く活動をできるだけ多く取るようにしたいですね。(実態は「聞く、読む」時間が多いです)

遅々として改善が進まないのが学校の現状ですが、一人の教師、一人の担任の裁量の範囲内でできることはあります。まずは自分ができることから始めたいと思っています。

 

 

「映画を早送りで観る人たち」稲田豊史著 光文社新書

「映画を早送りで観る人たち」稲田豊史著 光文社新書

先日、映画「百花」を観ました。監督の川村元気さんは、「近頃は映画を早送りで観る人が多い。だから私は早送りできない映画を作った」と語っていました。この本を読んで、川村監督の思いが何となく分かりました。「映画を早送りで観る」という現象には、人々の心の変化が現れているのです。

 早送りで観るようになった原因の一つは、ネットフリックスやアマゾンプライムなどのサブスクリプション(定額見放題)を利用する人が多くなったことです。観ることができる映画やドラマの数は何千、何万という数になりました。多くの作品を観るためには、時間を短縮しなくてはなりません。安く何回も観ることができるので、一つ一つを大切に観たいと思わなくなったこともあるでしょう。

 友達との会話やSNSの交流で、「話題になっている映画やドラマについてとりあえず情報として知っておきたい」という理由もあるようです。作品を鑑賞するのではなく、コンテンツから情報を得ているのです。

 「早送りで観ても、気に入った作品は、ゆっくりもう一度観ます」と言う人もいます。しかしそれでも気になります。このままでは行間を読んだり、空白の意味を考えたりする力は低下するのではないかと心配になります。

 

韓国ドラマはなぜ面白いのだろう

韓国ドラマが大好きになってしまいました。敬愛する内田樹さんお薦めの「愛の不時着」を観てあまりの面白さに驚き、今は「梨泰院 (イテウォン)クラス」を第4話までみたところです。何でこんなに惹きつけられるのでしょう。まず、物語の面白さがあります。「意外な展開」「次はどうなるのだろう」「この後はこうなってほしい…キター!」という仕掛けがたくさんあるのです。「人の一生って何だろう」「何を大切に生きていけばいいのだろう」という深い問いもちりばめられているところも魅力です。次に韓国の友人にあったときには、聞きたいことがたくさんできました。

 

コーチング(1)「相手の心のシャッターを上げる」

小倉リーセントホテルはJR西小倉駅から歩いてすぐのところにあります。教職員であれば互助会の割引(補助)と県民割が併用できるので、驚くほど安く泊まれます。(というかほとんど手出しゼロ)

気になるのはレストランでビールを飲んでいると、「職員室」とか「学年主任」とか話す声が聞こえてくること。

小倉城も八坂神社も朝6時から入れます。

すぐ近くのリバーウォーク。朝の風が心地よい。

 

今の私の仕事、小学校の先生たちへのコーチングについての記録です。

 

コーチング(1)「相手の心のシャッターを上げる」

 

修学旅行の引率のとき、宿泊のホテルで「夕食会場はどこですか?」と聞かれることがありました。「何で私に聞くのかな?」と思っていたのですが、どうやら私のことを添乗員か従業員と間違えていることが分かりました。このネタは笑ってもらえるので、初対面の人によく話すことがあります。相手の心を開くためには、まず、自分の心を相手に開くことが必要です。私は個人的な体験で笑える話をします。

 

コーチングのはじめに取り組みたいことは相手の心を開くことです。人は誰でも知らない人に対しては構えてしまうものです。「どんな人か分からないので心配」「この人は私の見方になってくれる人?」そんな不安を取り除かないと、どんな言葉を伝えても相手の心に届かないでしょう。

 

相手が関心を持っている分野が分かってきたらその話題を中心にします。先日、A先生は美術が好きなことが分かったので、私のオススメの美術館(直島の地中美術館)について話ました。帰る時間になったので打ち切ったら、次に行ったときに、休み時間にわざわざやって来ました。「この前の話の続きが聞きたいです」と言われて嬉しくなりました。

 

相手は自分のことを話したいのか、相手から聞きたいのか、それを見極めながら会話を進めます。それを考えずに一方的に自分からばかり話したり、反対に相手に質問ばかりしてもよい関係は生まれません。当たり前だと思われますが、でも意外と多いですよ。自分のことばかり話してしまう人が。

まずは相手の心のシャッターを上げること。そのために、こちらもシャッターを上げて中を少し見せなくてはいけません。コーチングのスタートはそこからです。

 

読書会

友人たちとオンライン読書会をしました。

取り上げたのは以下の本です。

現代思想入門 」千葉雅也 著

「眠れないほどおもしろい吾妻鏡」板野博行 著

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太

「ぼくらの戦争なんだぜ」高橋源一郎 著

「ぼくらの戦争なんだぜ」高橋源一郎著

藤原新也さんの写真と言葉は、強く深く響く。

今回は絵画や書まで含めた表現の全体を見ることができた。

2022年の私たちに届けられた言葉は「祈り」。

福岡市へ来たら博多駅近くのホテル「ザ・ベーシックス福岡」のロビーを見てほしい。

高くそびえる本棚が圧巻。画集、写真集、ガルシア・マルケス。見て美しく、読んで楽しい本が並んでいます。

ここは、その昔、マイケル・ジャクソンが泊まったホテル。

「ぼくらの戦争なんだぜ」高橋源一郎

小学生のとき、歴史学習は明治頃までで終わっていた。何故なのかあまり気にならなかった。そういうものと思っていた。

自分が教える立場になったとき、先輩から「歴史は現代が大事だからね」と教えてもらったので、力を込めて授業した。「同じ間違いを繰り返してはいけないから、そのために」と、考えていた。

 

この本の第1章は、「戦争の教科書」。

ドイツの高校生は、ナチスについて詳細に学ぶ。アウシュヴィッツ強制収容所司令官の発言を読んで、以下の設問に答える。

「(1)アウシュヴィッツ司令官の目標と行為を調べなさい。(2)ユダヤ人への大量殺害の方法を明らかにしなさい。(3)〔この資料に〕記載されている犠牲者たちの辛抱強さについてあなたの考えを述べなさい……」

自国の戦争を学ぶことの厳しさに驚かされる。

 

フランスではナチスの占領下、市民たちが抵抗運動を続けていたことはよく知られている。私もそんな映画を観たことがある。

しかし、ナチスに協力した人たちもいた。それは戦後のフランスではタブーになっていた。事情は察することができる。振り返りたくないことだろう。しかし、1990年代になって、シラク大統領は、この問題に正面から向き合った。その演説は高校の歴史教科書に記載されている。自国の負の歴史にも正しく向き合おうとする姿勢が分かる。

 

韓国の高校歴史教科書の「まえがき」を読んでみる。

「『魂』があってこそ人は生きる意味を探せる。この『魂』とは歴史のこと。歴史なくして『魂』はありえない。歴史は、未来をどのように設計し、どのように生きていくのかを提示する役割をもっている。ある歴史家は『すべての歴史は現代史だ』と言っている。」

ここには読者の心に強く響く言葉が並んでいる。

 

日本の高校歴史教科書はどうだろう。「まえがき」を読んでみよう。

「日本史は、私たちの住む日本列島の中での人びとの歩みを探るものであるが、その歩みはさまざまな地域との交流の中で、その影響を受けつつ展開してきたものである。したがって、私たちは日本史を学ぶ場合、いつの時代についても、周辺の国々をはじめとする各地域の歴史や、日本と諸外国との関係に目を向けていく必要がある。

この教科書は、そのような視点から日本の歩みを知ることができるように編纂したものである。その場合、考古学や民俗学などを含めた、歴史学の新しい研究の全体像が理解できるよう、なるべく詳しく記述しているので、その内容をよく消化すれば、日本史についての十分な知識が得られると思う。」

公平に、偏らないように、という意図は伝わってくる。しかし、何かが欠けている、と感じるのは私だけだろうか。

 

シンガポールに行ったとき、博物館で日本占領時代の展示を見た。そこにはシンガポールの子どもたちがたくさん見学に来ていた。日本人は一人も見かけなかった。

アジアの国々を旅するときは、なるべく博物館に行こうと思う。

だって、ぼくらの戦争なんだぜ。