退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太著

今日は中州のbills(ビルズ)でチーズサンドを食べました。少し高い店ですが、外国に来たみたいな雰囲気で、気分が上がります。

 

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太

国語力低下の問題は単に学力の問題ではありません。もっと大きな問題、社会全体に関わる重大な危機です。

この本に暴力事件を起こした中学生のインタビューがあります。その子は自分がしたことを言葉で説明できません。言葉の力が身についていないからです。しかし、よく考えてみましょう。言葉が足りないから説明できないのではなく、言葉が足りないから、そもそも考えることができていないのです。自分がしたことの意味が分かっていないということです、

私は最近聞いた問題行動を起こす子どものことを思い出しました。その子は他の子に怪我をさせたり物を壊したりして教師から理由を問われても答えることができません。「あの子は何を考えているのか分からない…」と対応した教師は途方に暮れていました。

この2つの事例に共通すること。説明できないのではなく、そもそも意味が分かっていなっかた。考えるということができていなかったということ。人は言葉を使って思考します。言葉が極端に不足していれば思考できません。

そのような子どもは少なくありません。子どもが家に帰っても、親の帰宅が遅いため、ほとんど会話がない家庭があります。スマホやゲームなどの画面を長時間見続けている子も多いです。その子たちが言葉を発する機会はどのくらいでしょう。

学校の問題もあります。情報教育、英語、食育など学校で教える内容は増える一方で減ることはありません。説明だけの授業、教え込み授業になりがちです。教師は基本的に真面目なのですべてを丁寧に教えようして疲れ果てています。

大変厳しい状況ですが、この本の事例をもとにして私たち教師が学校で取り組めることについて考えてみました。

一つは「経験と言葉をつなぐこと」

何も特別な体験をさせる必要はないのです。生活科、社会科、理科、体育、その他どの教科でも行っている体験活動について、話したり書いたりして、言葉にする時間を充実させること。体験したことを言葉にする練習。書くことを通して対象を見つめる力をつけるのです。体験の中から価値あることを見つける力があるといいでしょう。同じ体験をしても人はそれぞれ感じることが違うことも学ばせたいですね。

もう一つは「対話を充実させること」。

中学校の哲学対話の実践例が参考になります。「生きるとは何?」「なぜ差別は生まれるのか」などのテーマで対話が進みます。生徒の一人は対話の意義について次のように語っています。「人の話を聞くことで語彙力がアップするとか、話をすることでコミュニケーション力を磨けるというのはあります。でも、ぼくが一番良かったと思うのは、相手を理解しようとする姿勢が身につくことです。相手の意見を尊重できるようになると、生きることがすごく楽になるんです」

以上のことは、学校教育の重点としてすでに取り組まれていることです。現行学習指導要領では「対話」がキーワードとなっています。

国語力をつけることは、子どもたちが幸せで充実した人生をおくるための必須の課題です。日々の教科指導の中で、話す書く活動をできるだけ多く取るようにしたいですね。(実態は「聞く、読む」時間が多いです)

遅々として改善が進まないのが学校の現状ですが、一人の教師、一人の担任の裁量の範囲内でできることはあります。まずは自分ができることから始めたいと思っています。