退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「モトムラタツヒコの読書の絵日記」書肆侃侃房

今朝は大濠公園のロイヤルカフェで妻とブランチ。

先日見た映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の感想について話した。

ネイティブ・アメリカンの悲しすぎる歴史。

マーチン・スコセッシ監督、ロビー・ロバートソン音楽。

情けないチンピラのディカプリオ、自分はいいことをしていると信じている極悪人のロバート・デニーロ。悪い奴なのにどこか憎めない人間たち。こんな奴いるよねえ。

マイノリティをめぐる状況は100年前と何も変わっていない。

ザ・バンドの名ギタリストであるロビー・ロバートソンの遺作となったこの映画。

ネイティブ・アメリカンの血を受け継ぐロビーの最後がこの作品であったことは運命だろうか。

香椎の本屋「テントセンブックス」のイベントにモトムラタツヒコさんが来てくれた。

その日は本の交換会が行われて、私が持ってきた山本周五郎の「季節のない街」はモトムラさんに。

この物語が醸し出すブルースのような深い味わいはきっとモトムラさんの心に響くはずだと期待していた。

思いは届いていた。更新が続いているインスタグラム「読書の絵日記」に「季節のない街」を見つけたとき、嬉しくなって家族にも自慢してしまった。

移動祝祭日、新美南吉童話集、カガミジシ、子どもに語るロシアの昔話、印度放浪、青空、海苔と卵と朝めし、アラバマ物語、極北、小川未明童話集、地球どこでも不思議旅、アドルフに告ぐ、戦争いらぬ やれぬ世へ、などのすでに読んだ本への解説を確かめつつ、未知の本への興味は高まっていく。

 

 

 

「映画の木漏れ日」川本三郎著

私が働いている学校でも大谷選手のグローブが大きな話題になっています。

1年生の教室では、先生が子どもたちに説明していますが、よく伝わっていない様子です。

「もうすぐ大谷選手のグローブがきます」

「大谷選手が来るんですか?」

「違います。大谷選手は来ません。グローブが来るのです。」

放課後、保護者から電話がありました。

「実はお願いがあって電話をしています。大谷選手のことです。うちの夫がどうしても大谷を見てみたいと言っているので、学校に行ってもいいでしょうか?」

 

「映画の木漏れ日」川本三郎著 キネマ旬報社

1970年代から80年代にかけて、小説は村上春樹、評論では川本三郎が私の中心にありました。

自分が社会に対して抱いている違和感は何だろう。どうやってこれから生きていけばいいのだろう。そんな問いに対するヒントを彼らの文章から受け取っていたような気がします。

川本さんは、芸術映画とB級映画を水平な視点で語ります。

難解な映画を思いがけない視点から読み解いたり、B級映画が描く世界の中から光る場面を教えてくれたり。川本さんは私の映画鑑賞の師匠です。

弱者に対する温かい眼差しが川本さんの特徴です。子ども、女性、性的マイノリティーアフリカ系アメリカ人などに寄り添う姿勢が伝わってきます。

映画を始点として、文学、音楽、美術など様々な表現との関連が川本さんのエッセイで述べられています。

映画「ティファニーで朝食を」の主演はオードリー・ヘップバーンではなく、マリリン・モンローを望んでいたのが原作者のトルーマン・カポーティ

カポーティはこの小説が「甘ったるい恋愛映画」になっていたので怒った。

しかし、結果的にこの映画は大ヒットして、ヘップバーンの代表作となる。

今、この映画を見返してみると、自由を求めて懸命に生きようとする女性の姿がよく描写されていると感じます。

私はこの映画に出てくる日本人の名前が「ユニオシ」となっていたのがずっと気になっていました。そんな名前の人は聞いたことないですよね。

この本を読んでその謎が解けました。

この「ユニオシ」のモデルは、当時ニューヨークに住んでいた画家の国吉康雄。国吉と「ユニヨシ」。そうだったのか!



 

漱石はアンリ・ルソーだった

久留米市美術館で「芥川龍之介と美の世界 二人の先達 夏目漱石、菅虎雄」を見た。

菅さんは二人と交流があった教育者、書の名人で夏目と芥川のいくつかの著書の題字を書いている。

芥川と漱石のたくさんの手紙を読んだ。

昔の人は驚くほど多くの手紙を書いている。

漱石の手紙は草書体で私にはよく読めない部分もあるが、芥川の楷書の手紙は読みやすかった。

とても味わい深い文字を見ながら私もこんな字が書きたいと思った。

意外な面白さを感じたのは漱石の絵。

この絵を何と表現すればいいか。

すごく稚拙というか下手…。

偉大な日曜画家、アンリ・ルソーを思い出した。

どこか変だが温かい絵。

絵を描くことを楽しんでいることが伝わってくる。

漱石という世紀の文豪が身近に感じられた。

お昼はもちろんラーメン。

久留米と言えばラーメンでしょう。

選んだ店は清陽軒。

入り口は屋台風、店内は列車仕様というのもいいですね。

ラーメンと焼きめしのゴールデンコンビを注文。

ラーメンは思ったよりあっさり、チャーハンは塩辛くて健康に悪そうだけどおいしい。うまいチャーハンはやっぱりこうでなくちゃ。

 

「その世とこの世」(谷川俊太郎 ブレイディみかこ著 奥村門土絵)岩波書店

母を亡くしたブレイディさんは旅に出た。

目的地はウイーン。

ヨーロッパの古都でエゴン・シーレを観る。

そこで、見知らぬ老人からヒットラーをめぐるウオーキングツアーを勧められる。

この有名な独裁者はウイーンの美術学校の入学試験に失敗した。

同時期にその美術学校に入学したのがシーレ。

ヒットラーが合格していれば、あの20世紀最大の悲劇は起こらなかったのか。

運命や歴史について考えてしまうエピソード。

デビットボウイはシーレと三島由紀夫について語っていた。

危うさとはかなさが人を引きつけることをボウイは自らの表現に昇華させようと試みた。

谷川俊太郎さんとブレイディみかこさんの往復書簡は言葉と表現をめぐる思索の回廊。

 

この世とあの世の間にあるのかその世。

詩人も音楽家もその世の住人。

普段は目に見えないものを私たちに差し出す。

もう一度この本を読んでその世の風景を見つめてみよう。

 

「その世とこの世」(谷川俊太郎 ブレイディみかこ著 奥村門土絵)岩波書店

 

映画「PERFECT DAYS」

好きな小説は数ページ読んだらわかります。「ああ、これはいい…。」同じように好きな映画は少し見たら分かります。「文体」と「リズム」。無口な主人公の心の風景は映像に重ねられた音楽を通して伝わってきます。

「朝日のあたる家」アニマルズ、「ペイル・ブルー・アイズ」ベルベット・アンダーグラウンド、「ドック・オブ・ベイ」オーティス・レディング、「レドンド・ビーチ」パティ・スミス、「スリーピイ・シティ」ザ・ローリング・ストーンズ、「青い魚」金延幸子、「パーフェクト・デイ」ルー・リード、「サニー・アフタヌーンキンクス、「ブラウン・アイド・ガール」ヴァン・モリソン、「フィーリング・グッド」ニーナ・シモン。この選曲には完全に打ちのめされました。

 

いつも静かに笑っている人になれるでしょうか。宮沢賢治のように。

日課はテレビ体操、ラジオ「まいにちハングル講座」。

学校に着いたら担当する1年次教員のクラスの様子を見て回り、職員室に戻ったらその日に見る授業の予習。授業後は、職員室で資料作成。放課後は授業者と面談して良かったところと改善点を伝える。ときどきは悩みや不安を聴くカウンセリング。

毎日同じことの繰り返し。

高校のときに年下のガールフレンドからもらった手紙を思い出します。

「もっと自信を持って生きてください」

ゆかりさん、元気ですか?今もまだ自信は持てないけれど楽しく生きています。

映画「PERFECT DAYS」で役所広司が演じた平山。仕事に出るときに決まって空を見上げてほほえむ平山の向こう側に賢治の顔が浮かんだ。こんな映画が見たかった。

 

風景をつくるごはん

「風景をつくるごはん」(真田純子著)を読みました。自分の食生活を振り返ると、「旬のものを食べる方がいい」とは思いながら、「食べたいもの食べたいときに食べる」生活になっています。しかし、自分が農村に行ったときには、「ビニルハウスが多い風景にはがっかり」とつぶやいています。何と傲慢なのでしょう。

著者が紹介しているイタリアの農業政策には学ぶべきところが多いと感じました。イタリアのアグリツーリズムは農家の経営する宿ですが、主目的は農業支援です。一方、日本の「農泊」は、観光とビジネスに重点が置かれています。「農泊」では、農業支援にもならず、観光としても中途半端な感じです。アグリツーリズムは、環境や文化、地域社会、風景など、地域の固有性を守ることを目指しています。この法律がスタートしたのは1985年です。2019年にイタリアを訪れたときに農村の風景が美しいと感じた理由が分かりました。

日本の「農泊」は、アグリツーリズムのよさを取り入れて改良されるといいですね。自分がすぐにできることは何でしょう。旬ではない農作物を食べることは、環境の負担を大きくし、風景を変えることだと分かりました。地産地消の取り組みと同じように「できる限り旬のものを食べる」を始めてみます。

 

竹内まりやから小泉八雲へ

信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら

どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ 「人生の扉」竹内まりや

竹野屋

出雲に行ってきました。竹内まりやの実家の旅館が出雲にあると聞いたことがあったので、宿はそこにしました。竹野屋は古い建物ですが、手入れがよく行き届いていて感心しました。料理も素晴らしい。”Everyday is a special day.”のマグカップを買ってしまいました。

出雲大社にお参りした後は、松江の小泉八雲記念館へ。ギリシャで生まれて、アイルランドからフランス、アメリカ合衆国西インド諸島、そして日本。八雲の生涯が物語のようです。

記念館で買った「明治日本の面影」(小泉八雲著)を帰りの列車で読みました。

どれも興味深いエピソードばかりですが、英語教師として接した日本の学生たちの思い出が特に心に残ります。八雲の家には彼を慕う学生たちが数多く訪れます。彼らはみんな礼儀正しく、しかも面白い話を八雲に聞かせます。自分の家にあるめずらしい品物を見せに来る者もいます。その中の一人は、出された菓子を一度も食べようとしません。不思議に思った八雲がその理由を尋ねると、彼は答えます。

「私は兄弟の一番下の末子ですから、もうじき独立して自活しなければなりません。いろいろ辛い目も耐え忍ばなくてならぬと思います。いまからこうしたおいしいものの味を覚えてしまうと、将来それだけ苦しい思いをしますから遠慮させていただきます」

貧しい学生や高等教育を受けていない子ほどそんな感心するような人間性を見ることが多いと書いています。豊かになると失われるものについて考えてしまいました。

「一度愛し棄て去った土地をふたたび訪ね、無傷でいることはできない。何かが失われていた」小泉八雲

小泉八雲記念館