退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

2年生国語「スーホの白い馬」

2年生国語「スーホの白い馬

 

1 叙述に基づいた確かな読み

 国語「スーホの白い馬」を参観しました。

導入では前時の学習のまとめを代表の子が発表しました。「白馬が矢がささっても走り続けたのは、スーホに会いたかったからです」それに対して教師から「そのように考えた理由が書けているところが素晴らしいね」というコメントがありました。

本時場面の「そのばん」が「白馬がとのさまのところから逃げ出した日」であること、「白馬だよ。うちの白馬だよ」とさけび声を上げたのがおばあさんであることを確認してから「スーホがどうして跳ね起きたのか」を子どもたちに問いかけました。

「白馬がかえってきたからです」

「家族のきずながあるからです」

「とのさまにつかまっていたのにかえってきたからです」と答えていました。

次は「走って」と「走って、走って、走りつづけて」を比べます。

言葉が繰り返されることの効果を読みます。

「矢がささってもがんばって走っている感じがします」

「スーホにすごく会いたいから走り続けたと思います」

「すごく遠くから走ってきていることが分かります」など、子どもたちは言葉の違いについて読み取っていました。

その後は、歯を食いしばって白馬の矢を抜くスーホの気持ちを考えました。

「どうしてこんなことになってしまったの」

「よくここまで走ってきたね。もう安心していいよ」

「死んだらいやだよ。悲しいよ」など、今までの叙述とつないだ読み取りができていました。

主要発問とその補助発問がよく考えられていたので、子どもの発言が途切れることなく続いていました。叙述に基づいた確かな読み取りとなっていました。

 

2 読み取りの技を鍛える 

以下は読み取りの技を鍛える例です。

白馬に刺さった矢を歯を食いしばりながら抜いたスーホの気持ちを読み取ります。

①同じページの叙述とつないで読む(すぐ近くの叙述とつなぐ読み取り。初級技です)

「~だと思います。それは~だからです」の形式で発言させます。

「スーホは悲しかったと思います。それは白馬に矢が何本も突き刺さっていたからです」

「スーホはうれしかったと思います。それは白馬がひどい傷を受けても走り続けて自分のところへもどってきたからです」

②前の場面の叙述とつないで読む(離れた叙述とつなぐ読み取り。上級技)

「スーホはくやしかったと思います。競馬で一等になったのに白馬をとられて、そのうえ白馬がひどい目にあわされたからです」

「スーホは悲しかったと思います。おおかみを必死で追い払ってくれた白馬を兄弟のように思っていたからです」

「スーホは悲しかったと思います。小さい頃から心を込めて世話をした白馬が傷ついて死にそうになっているからです」

「スーホは悲しかったと思います。それは自分にはお父さんもお母さんもいなくて、白馬を兄弟のように感じていたのに、その白馬が死にそうだからです」

まずはじめは教師が手本を示して叙述をたどる読み方を教えます。

そして、少しずつスモールステップで子どもが自分で読めるように鍛えていきます。「前の場面に書いてあったこととつないで読み取ったね。すごい!」のように子どもをほめてあげます。

子どもは、読み取りが上手にできるようになると、このような読み取りを複数組み合わせて自分の考えをつくることができるようになります。

そのような深い読み取りができるようになると、教師と子どもの一問一答ではなく、子どもたちがお互いに発言をつなぐこともできるようになります。

「読む文化をハックする」ジェラルド・ドーソン著 山元隆春・中井悠加・吉田新一郎訳

昨日、福岡市の小学校では全校一斉のオンライン授業が実施されました。朝一番、パソコンの画面に現れた子どもたちは、どこか高揚した嬉しそうな表情をしていました。小さな妹が画面をのぞき込んだり、自分のペットを見せようとしたり。教室から見ているわたしもうれしい気分になりました。さて今日も新しい本の紹介です。

 

「読む文化をハックする」ジェラルド・ドーソン著 山元隆春・中井悠加・吉田新一郎訳 新評論

 

読むことを嫌いにする国語の授業に意味があるのか?

 

著者は元高校の英語(国語)教師。米国の高校の英語(国語)教育の実態をもとに、その大胆な改革案を提示しています。皆さんは日本の国語教育の現状をどのようにとらえていますか?

この本を翻訳した方(大学教授)の研究室で、様々な職業に就いている読書家10人にインタビューをしました。その中の「あなたは読書が好きですか?」の質問には全員が「はい」と答えているのに対して、「あなたは『国語』がすきですか?」には10人中9人までが「いいえ」と答えています。体育科では、生涯を通して運動に親しむことのできる子を育てることが大きな目標となり、苦手な子でも楽しめる指導が進んでいますが、国語科ではそのような配慮はどれくらいできているのでしょう。

 

この本の目次を見てみましょう。

1 読書家に焦点を当てる

2 読む文化とカリキュラムのつながりをつくる

3 教室の図書コーナーを充実させる

4 読むコミュニティーを築くために評価する

5 読むことを学校の中心に据える

 

「3 読むコミュニティーを築くために評価する」の中に、優れた読書家の行動がリストアップされています。

 

・その本が適しているかどうかを評価するために、友だちの推薦内容に耳を傾ける。

・グッドリーズ(Goodreads)や、その他のソーシャルメディアのサイトに書かれたブックレビューを読む。

・曖昧なところや面白い部分、登場人物がある行動を起こしたときの動機や作家のスタイルに目を向けながら、他の読み手とのディスカッションに参加する。

・本を評価したり、レビューを書いたりする。これは、グッドリーズや読書メーター、アマゾンのカスタマーズレビュー、ブログなどへ投稿したり、自分だけのリストを記録したりするといった形でできる。

・面白さについて熱く語ったり、その内容を知らせたりするために、友だちに本についての話をする。

・自分が面白いと思った書評や紹介文のどこがよいのかを考える。

 

このような項目を評価規準として教師と子どもが共有できたら、子どもたちは読書家としての強いアイデンティティーをもち、自らの読む体験を深めることができるようになるでしょう。この記述から皆さんもお気づきだと思いますが、これらの優れた読書家の行動例は、「読むコミュニティーづくり」にもつながります。読むことの指導と評価が一体化し、同時に「読む文化」が教室に広がれば、それはどんなに素晴らしいことでしょう。

f:id:shinichi-matsufuji:20210124163332j:plain

 

「歴史を活かす力 人生に役立つ80のQ&A」 出口治明著

先週は給食に鯛が出てきて驚きました。初めてだと思います。その前には鰤(ぶり)や福岡和牛入りボルシチもありました。ニュースでも度々話題になっていますが、このところ高級食材が行き場を失っています。それが学校給食にたどりついたということのようです。もちろんおいしくいただいていますが、生産者の皆さんのことを考えると複雑な心境です。

さて今日も再び出口治明さんの本の紹介です。

 

「歴史を活かす力 人生に役立つ80のQ&A」 出口治明著 文春新書

 

戦国の武将たちを会社の上司だと考えます。

自分がその下で働くとしたら、信長、秀吉、家康の誰が一番いいと思いますか?

私はまず秀吉を選ぶでしょう。魅力ある人物であるし、部下を励ましながら育ててくれそうです。次は家康、物事を深く考えることができる人物のように見えます。部下のことも丁寧に評価してくれるでしょう。最も避けたいのは信長です。もしミスをしたら徹底的に痛めつけられそうで怖い。しかし、これらは今までに見てきた映画やTVドラマから作られたイメージです。

実際はどうだったのでしょう。秀吉は家来が失敗をしたり機嫌を損ねたりすると殺していました。家康も優れたリーダーとは言えません。信長や秀吉の後、何か新しいアイデアを考え出したわけでもありません。昔からの家来を大事にするのはいいのですが、それ以外の者を寄せ付けないのも困ります。それに比べて信長は金銀銅の三通貨制、楽市楽座、海外との交易など、アイデア抜群のリーダーです。仕事が失敗してもすぐに家来を殺したりしないのが信長でした。部下として仕えるなら信長が一番ですね。

 

もう一つ信長が優れているところは、仕事をミスっても部下を殺さない点です。史実をチェックすると、信長の部下で仕事のミスが原因で殺された人はいません。激しく叱責されたり、追放されたりはあっても、殺されないというのはとても安心できます。

信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という川柳のせいで怖いイメージが創られたように思います。あれは江戸時代に作られたものなので、家康を必要以上に持ち上げようとしています。

 

国も時代も違う二人の人物が重なることもあります。

毛沢東西郷隆盛の共通点は何だと思いますか?

2人とも革命をやり遂げることには超人的な力を発揮しましたが、新しい国を創り発展させることはできませんでした。西郷隆盛は倒幕後に西南戦争に敗れ、毛沢東が主導した大躍進政策文化大革命は失敗でした。この二人は偉大なリーダーであり詩人です。魅力的な人物で多くの人を引きつけましたが、結果的に多くの人の命を奪いました。

 

しかし、現実を直視しない詩人タイプが国のトップに立つと、部下や国民は疲弊します。日本でいえば、西郷隆盛(1828~77)が詩人の魂を持った永久革命家だと思います。明治維新がうまくいった理由の一つは、「詩人の毛沢東が早く退出して、鄧小平のような実務家が実権をにぎったことだ」という趣旨のことを作家の後藤一利さんがいわれています。これは西郷隆盛大久保利通(1830~78)のことです。まったくその通りで、至言だと思います。

 

このところ歴史関連本から遠ざかっていましたが、この本を読みながら歴史に関する興味が再びよみがえってきました。歴史はドラマチックで面白い。それだけでなく、現代社会の本質を探るためのヒントがここにたくさんあります。

f:id:shinichi-matsufuji:20210117214222j:plain

 

「毎日が最後の晩餐」 玉村豊男著

今日はこんな記事を読みました。

Apple to Pay Fine for Update that Slowed Down iPhones

アップルは裁判の結果、1億1千3百万ドルを支払うことになりました。これは会社が故意に古いiPhoneの動きを遅くしていたからです。アップルははじめこれを否定していましたが、後で認めて謝罪しました。私もiPhoneのユーザーなので以前感じたことがあります。古いiPhoneでOSだけアップデートすると動きが遅くなって、やっぱり新しいのを買おうかな、と思います。なるほどこれはアップルの販売戦略だったようです。しかし、アップルは今後の利用者への正確な情報提供を約束しました。

さて今日も本の紹介です。

 

「毎日が最後の晩餐」 玉村豊男著 山と渓谷社

 

玉村豊男さんは大学在学中にフランスに留学し、その後は通訳や翻訳の仕事をしていました。多くの食や暮らしに関するエッセイを書いています。現在は長野県東御市に住み、ワイナリー、レストラン、(自身の)アートミュージアムを経営しています。私は若い頃から玉村さんの本を読みながら、こんな風に暮らしたいなあ、と憧れていました。この本では、75歳になった玉村さんが現在の食と暮らしについて語っています。

 

この本は、妻に言われて毎日のレシピを書き遺した、老人料理の本である。

とにかく簡単で、間違いがなく、確実においしい料理。

残された食事の回数は限られているので、失敗はしたくない。世間ではおいしいと評判のまだ食べたことのない料理より、すでにおいしいことを知っている、何回も食べたことのあるいつもの料理。

まずいものを食べて太りたくはないが、おいしいものなら太っても構わない。

健康に注意したり、体形を気にしたりするのは、まだ若い人のやることだ。

毎日の夕食を食べるとき、あ、これが「最後の晩餐」かもしれない・・・と思えば、余計なことは忘れて、目の前の食卓だけを楽しむ気分になるだろう。

 

とは言うものの、玉村さんの食事は野菜を中心とした健康的なメニューです。

 

最近は「先ベジ(ベジ・ファースト)」といって、先にベジタブルを食べる、他の料理に手をつける前に、食事の在所に繊維質の多い野菜を食べるほうが、血糖値の急上昇を防ぐ、ダイエットにも効果がある、と言われるようになったが、私たちは農村に暮らして30年、身のまわりにはいつも野菜が溢れていて、その日のうちに食べたほうがよい野菜の皿が常に食卓を占拠しているので、自然に野菜から最初に食べはじめる習慣が身についた。

 

私は自分では気がつかないうちに、読んだ本から影響を受けて、いつの間にか同じことをしています。ここで紹介してあることも自分の習慣になりそうです。朝と昼は、ごはんと麺などでしっかり炭水化物をとって、働くためのパワーを蓄える。そして夜は、炭水化物は控えて、大量の野菜と肉や魚のタンパク質を摂る。これは合理的ですね。

 

朝は2人ともパン派なのでパンをしっかり食べ、昼はご飯、または麺。とにかく炭水化物をしっかり補給する。そうしないと、畑で働く力が出なくなり、へなへなと座り込んでしまうことがある。だから朝食と昼食は、おかずはどうでもいいから、パンやご飯や麺を腹に入れてエネルギーを溜め込むのだ。

そのかわり、一日の労働で疲れ切ったからだを癒すのは、タンパク質だ。夕食はもう炭水化物はほとんど食べず、肉か魚を焼いたものに、あとは畑で採れる大量の野菜をさまざまに料理して、ワインとともに・・・私たちの食のスタイルは、こうして、田舎暮らしの労働から必然的に生まれたものなのだ。

 

これから私が作る予定の料理は、豚肩ロース肉の直火焼きロースト、キノコのカリカリ焼き、ポルトガル風タコの直火焼き、ギリシャ風ムサカなどです。どれも簡単にできて、しかもおいしいに決まっている!

f:id:shinichi-matsufuji:20210110174045j:plain

 

「自分の頭で考える日本の論点」出口治明著

あけましておめでとうございます。

昨日、英会話のオンライン授業でこんな記事を読みました。

Researchers Find Fish Oil May Not Prevent Heart Problems

米国クリーブランド病院の医師たちが2017年6月から2020年1月までに1万3000人を対象に調査を行いました。それは心臓病や不整脈の改善に効果があると言われている魚の油、オメガ3に関する調査です。調査の結果、オメガ3は心臓病や不整脈の改善に効果があることを証明できませんでした。それどころか、オメガ3は不整脈のリスクを増大させることがあると分かりました。胃の病気を引き起こすこともあるそうです。

薬やサプリメントの摂取には十分な注意が必要ですね。

さて、今回は出口治明先生の本の紹介です。

 

「自分の頭で考える日本の論点出口治明著 幻冬舎新書

 

「還暦からの底力」を読んで出口さんのファンになりました。

この本は400ページの厚い新書ですが、一気に読みました。この論点は以下のような問題です。

①日本の新型コロナウイルス対応は適切だったか 

②新型コロナ禍でグローバリズムは衰退するのか 

③日本人は働き方を変えるべきか 

④気候危機(地球温暖化)は本当に進んでいるのか 

憲法9条は改正すべきか 

安楽死を認めるべきか 

⑦日本社会のLGBTQへの対応は十分か 

⑧ネット言論は規制すべきか 

少子化は問題か 

⑩日本は移民・難民をもっと受け入れるべきか 

⑪日本はこのままアメリカの「核の傘」の下にいていいのか 

⑫人間の仕事はAIに奪われるのか 

生活保護ベーシックインカム、貧困対策はどちらがいいのか 

⑭がんは早期発見・治療すべきか、放置がいいのか 

⑮経済成長は必要なのか 

自由貿易はよくないのか 

⑰投資はしたほうがいいのか、貯蓄でいいか 

⑱日本の大学教育は世界で通用しないのか 

公的年金は破綻するのか 

財政赤字は解消すべきか 

㉑民主主義は優れた制度か 

㉒海外留学はしたほうがいいのか

 

いかかですか?どれもどんな答えがあるのか聴いてみたい問題ですね。

それぞれの項目には「基礎知識」として数字(データ、エビデンス)とファクト(事実)などが述べられています。あわせて「自分の頭で考える」として、「タテ=時間軸(歴史軸)、ヨコ=空間軸(世界軸)」で立体的に考えて、物事の実態や本質を見ます。

例えば、「日本は働き方を変えるべきか」では、「日本の労働生産性はずっとG7最下位」として以下の説明があります。

 

日本とヨーロッパのこの四半世紀を比べると、ヨーロッパは年1300から1400時間働いて年平均2.5%の成長を維持しています。一方、日本は正社員ベースで考えると2000時間以上働いて年平均1%しか成長していません。基礎知識のページでは日本人の労働時間は年間1644時間と紹介していますが、これはパートやアルバイトを含めての数字であって、実は正社員の労働時間はこの四半世紀、まったく減っていないのです。

 2.5%と1%というとたった1.5ポイントの差と思うかもしれませんが、割合からすると2.5倍、とても大きな差です。しかも、日本の方が労働時間が1.5倍も長いにもかかわらずです。

 要するに、先進3地域の中では日本がもっとも労働生産性が低い。OECDのデータに基づき日本生産性本部が比較統計を取り始めた1970年以来、実に半世紀にわたって日本の労働生産性は時間あたり・1人あたり共にずっとG7最下位を続けています。(G7=フランス、アメリカ、連合王国、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)。いま日本人に働き方改革が求められている根本的な理由はここにあります。

 

出口さんの主張に説得力があるのは「数字(データ、エビデンス)・ファクト(事実)・ロジック(論理、理屈)」という3つの要素があるからです。

「気候危機(地球温暖化)は本当に進んでいるのか」では、日本の気候危機の感度が低い理由として以下のような説明があります。

 

日本人の意識が低いことには、メディアの責任も大きいと思います。ちょっと前の話で恐縮ですが、COP21が合意に達したとき、たまたま僕は世界の報道をザッピングするテレビ番組に出ていました。アジア、ヨーロッパ、アメリカなど、そのときモニターしていたすべての国の報道がCOP21を別格で取り扱い、他のニュースをほとんど流さなかったのに対して、日本ではほんの少ししか報じられませんでした。いかにメディアの感度が鈍いかということです。

 

ここでも、ヨコ=空間軸(世界軸)で立体的に考えているので、物事の実態や本質をはっきりとらえることができます。

巻末には「付録」として、「自分の頭で考える10のヒント」があります。

①タテ・ヨコで考える 

②算数、すなわち数字・ファクト・ロジックで考える 

③外付けハードディスクを利用する 

④問題を分類する「自分の箱」をいくつか持つ 

⑤武器を持った「考える葦」になる 

⑥自分の半径1メートル圏内での行動で世界は変えられると知る 

⑦「人はみんな違って当たり前」だと考える 

⑧人の真贋は言行一致か否かで見極める 

⑨好き嫌いや全肯定・全否定で評価しない 

⑩常識は徹底的に疑う

 

私は、問題を分類する「自分の箱」をいくつか持つことが参考になりました。

 

何かの問題に直面して、解決策や答えを求めて考えをめぐらせるときは、まずその問題がどういう性質のものなのかを見極め、仕分けすることが大切です。

問題の性質を仕分けするとは、「箱に入れる」と言い換えてもいいでしょう。いきなり答えを求めるのではなく、とりあえず、それがどんな「箱」に分類されているのかを考える。そうすることで、考え方の枠組みのようなものがはっきりしてきます。

(中略)もっと別の次元での「正解のある問題」と「正解のない問題」もあります。

たとえば論点5で扱った「憲法9条は改正すべきか」という問題があります。先述したように、これは現実的に誰かが困っている問題ではありません。自衛隊が合憲であるということは野党も容認しているので、条文を変えても変えなくても現実は何も変わりません。

したがって、改憲か護憲かはイデオロギーの争いとなっており、それぞれの陣営がどれだけ根拠を集めてきても客観的に「正解」が出ることはありません。神学論争のようなもので、いわば「永遠の水掛け論」となる性質の問題だと思います。憲法9条の改正について考えるなら、この問題がそのような性質を持っていることを認識してから始める方がいいわけです。

 

どのような箱をいくつ持つかについては人それぞれであると出口さんは述べています。しかし、どんな箱に分類して考えるにしても、まずは専門家の意見を虚心に聞くことだと強調しています。

この本には、よりよく考えるための方法やヒントがたくさんあります。考えること、書くことのエネルギーを出口さんからいただきました。

f:id:shinichi-matsufuji:20210105214148j:plain

 

「開高健は何をどう読み血肉としたか」菊池治男著

今日は大晦日

パンデミックの1年、2020年もとうとう終わります。

しかし、この息苦しさはいつまで続くのでしょう。

これから今年最後の夕食の鶏鍋をつつきながら、家族で紅白歌合戦を見ます。

普段はテレビをほとんど見ないので、ここではじめて流行った歌とその歌手が一致します。

11時からは村上春樹のラジオを聴きながら年越しの予定です。

皆さんもよいお年をお迎えください。

 

開高健は何をどう読み血肉としたか」菊池治男著 河出書房新社

 

開高健は大好きな作家の一人です。

「裸の王様」「輝ける闇」「夏の闇」「玉、砕ける」「珠玉」などを読みました。

この本の著者、菊池治男は編集者です。「オーパ!」のブラジル・アマゾンの他、アラスカ、カリフォルニア、カナダ、スリランカ、モンゴルなど、開高の取材に同行しています。

開高の亡くなった後、彼が残した大量の書籍をもとにして、その創作の経過をたどったのがこの記録です。

もちろん、開高との旅のエピソードも聞かせてもらえます。

ファンとしては羨ましい限りです。

読みながら、自分はどうして開高の作品に惹かれるのだろうか、と考えました。

その答えの一つは見つかりました。

 

・・・私はE・H・カーの「カール・マルクス伝」の愛読者でもあるが、モオリヤックの「テレーズ・デケイルウ」の愛読者でもある。梶井基次郎の読者でもあるが、同時に魯迅の読者でもある。チェーホフに耽ったかと思うと、スノーの「中国の赤い星」にも打たれた。これはルポルタージュだけれど立派な文学である。簡潔で、活力に富み、苛烈悲惨な現実を見ながらユーモアを忘れず、十の力を一に使ったイマージュの鮮やかさが忘れられない。けれど、同時に、その私は、無思想、無理想の大空位時代、ロシヤ帝政末期のチェーホフのわびしい微笑にも共感するものをおぼえるのである。

 こういう自分を軽薄だと思って、ある頃、私は腹をたて、中島敦の自嘲をそのまま擬し、愛想をつかした。自分が矛盾の束であることを発見して、しかもそのそれぞれの矛盾がどうにも拒みようがない密度をもって訴え、迫ってくる事実は認めざるを得ないので、とうとう、中島敦の言葉を借りると、そのような自分の愚かしさに殉じてその都度の愚かしさの濃厚の度に応じて生きていくよりしょうがないのではないかと考えたことがあった。そうではないか。カーの読者がなぜモオリヤックに打たれるのか。梶井基次郎のファンがどうして同時に魯迅のファンであり得るのか。スノーを賞賛するがなぜ言葉をひるがえしてチェーホフを賞賛するのか。“矛盾の束”という表現のほかになにがあり得ようか。「心はさびしき狩人」開高健1960年

 

そうか「矛盾の束」。

本を読む喜びの一つは、自分が確かに感じているのだけれど、まだそれ何なのか言葉にできないものを、「あなたが感じているのはこれですよね」と差し出してもらうことです。

私もまた「矛盾の束」であることに気づきました。

菊池さんの案内で、開高作品の深い輝きを再度発見できました。

全ての作品を読み返すのが楽しみです。

菊池さん、ありがとうございます。

f:id:shinichi-matsufuji:20201231180401j:plain

 

「こどもホスピスの奇跡」石井光太

昨日12月25日、福岡市の小学校では終業式が行われました。今日から冬休みです。しかし、12月15日以降は20日を除いて連日、新型コロナウイルス感染症の患者発生による福岡市小中学校の休校措置が続いていました。このウイルスの終息は残念ながらまだまだ先のようです。さて今日は本の紹介です。

 

こどもホスピスの奇跡 短い人生の『最期』をつくる」石井光太 新潮社

 

心を強く揺さぶられるような体験だった。生きること、生き方についていろんなことを考えさせられた。このノンフィクションは日本初の民間ホスピス「TSURUMIこどもホスピス」が完成するまでが描かれている。

小児がんとの苦しい闘いを続ける子どもたち、その家族、治療にあたる医師たち看護師たち、ボランティアとして関わる人たちなど。初めて知ること、考えさせられることがたくさんあった。

まず、緩和ケアのこと。何が何でも治療を優先するのか、それとも苦しみを和らげるため緩和ケアを行うのか、これは難しい問題。驚くべきことに日本では少し前まで治療が絶対優先で、緩和ケアはほとんど行われていなかった。つまり、もう回復の見込みがほとんどない場合でも、患者を苦しめる治療が続けられていた。自分はいやだと思った。もう治る見込みがなければ緩和ケアを受けたい。数年前にガンで亡くなった同僚を思い出した。見舞いに行くたびに「苦しい。痛い」と訴えていた。その言葉が今も心に残っている。

この本に描かれているガンと闘う子どもたち。その一人が久保田鈴之介君。彼は勉強もスポーツもよくできる子。しかも明るい性格でリーダー性もある。自分も苦しいのに他の病気の子たちを励まし続け、相談にも応じる。難病で苦しむ子どもたちの現状を市長に訴え、その改善を実現する。自分を苦しめるガンと正面から向き合い、厳しい状態であるにもかかわらず大学入試まで勉強を続けるが、受験直後にその命は燃え尽きる。

この本は、こどもホスピス設立のために力を尽くす多くの人たちの記録である。旧態依然として変わらない組織に対して粘り強く働きかけ、苦しむ子どもたちのために汗を流す人々が描かれている。この人たちに比べて、今の自分は何ができているか、と考えてしまった。決して悲しいだけの本ではない。人が生きていくことについて考えさせる本である。「深く生きる」ことについて考え続けたいと思った。

 

f:id:shinichi-matsufuji:20201226164149j:plain