退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

できないことは悪いこと?

今日は教育センターで会議の後、資料づくり。

体育授業のすばらしい提言を見つけました。

 

「運動が苦手な子どもへの配慮」その前に 大後戸一樹(体育科教育 2019年3月号)

「配慮は必要ですが、それは教師がすればよいのではなく、学習者みんなに生かされて初めて意義があるのだということは忘れずにいたいものです。」

「『教え合い』を目標に掲げていても、その内実を見ると、できる子ができない子に教えているだけにしか見えないことがあります。これをよくある授業風景として基準としましょう。これよりもよくないのは、できる子ですら教えない授業となります。では、よい授業ではどうなるかというと、できない子ができる子にきちんとアドバイスをしている授業だと言えます。」

「見本を示したいときに、子どもたちの中のうまい子にみんなの前で演技をしてもらうことはよくある授業風景なので、これを基準とします。そうすると、うまいのに見本を拒絶するのはよくない状況です。実際、初めて授業を担当した小学校5年の学級で拒絶されたことがあります。あとでこっそり理由を聞くと、『後で何言われるかわからんのに・・・』と言われました。一方で、『先生、○○くんがうまくいきません』や『どうしても足が直りません』と言って前に出てくる授業もありました。これは私の理想像です。」
「厳しい現実を前に、何から手をつければよいのかわからず、途方に暮れることもあるでしょう。時に、現実をかわし、凌ぎ、誤魔化しながら進むしかないことだってあります。このようななかにあって、本稿で述べてきたことはただの理想像でしかないかもしれません。でも、理想がなくて教育なんてできない。そうではありませんか。」


私も運動は得意ではありませんでした。
自転車はなかなか乗れませんでした。
水泳もダメです。
野球もサッカーも不得手。
だから、できない子の気持ちはよく分かるつもりでした。
しかし、教師としてどれだけのことをしてきたのか振り返ると不安です。
「体育ぎらい」を増やしたかもしれない。
「運動ができること=よい」「できないこと=悪い」と押し付けていたかもしれない。
大後戸先生の提言をもとに、「できない子が活躍する授業」について考え続けます。

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阿蘇 2018年12月