退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「流行に踊る日本の教育」石井英真編著 東洋館出版社

先週は、3年生の国語「山小屋で三日間すごすなら」を参観しました。

「話し合い」について学ぶ3時間の小単元です。

その学級では1名リモートで参加している子どもがいました。

驚いたのは、グループで話し合う活動場面で、その子が参加していたことです。

教卓の前に置いていたタブレットをグループに持っていくと、普通に話し合いが進んでいました。

「そうだ、もうこんなこともできるんだ!」と感心しました。

 

「流行に踊る日本の教育」石井英真編著 東洋館出版社

 

「改革のための改革」や危機を煽り続ける言説によって、際限なく前提が問い直されることで、もともとうまくいっていたものの土台まで掘り崩されてしまう状況が生まれている。

(本書 第1章「資質・能力ベースのカリキュラム改革」 学校ですべきこと、できることは何か? 「新しい能力の教育へと改革すればするほど、それが育たなくなるという逆説を超える」3真に考える力を育てるには)より

 

経済通産省が「未来の学校」という構想を提起しています。

そこではパソコンなどの情報機器を使って個別学習をします。

子どもたちが問題を解くと、その回答に応じて、ヒントや練習問題が自動的に提示されます。

勉強が苦手な子には親切な支援が用意されていて、簡単だと感じる子には発展問題が与えられます。

AIにより最適化された教育の姿。

とても素晴らしい未来の教育のように見えます。

 

この原理には、経済やビジネスの発想があります。

ここでは個性に合わせた課題が効率的に提供されます。

コストの削減も達成できそうです。

個に応じた授業をしようと思っても、準備や評価に時間がかかるので、なかなかできなかった教師たちにとっても朗報です。

 

しかし、その様子を具体的にイメージしてみると、様々な問題が浮かんできます。

教育の個別化と個性化は、学力格差の拡大や固定化の危険を含んでいます。

しかも、その考え方はビジネスにおける自己選択や自己責任と結びきます。

つまり、「自分が今の地位を得たのは努力したから当然である。努力が足りない人の収入が少ないのは仕方がないこと。お金が欲しいならもっと努力すればいい。」と考えるビジネスマンの思考と一緒です。

教育の場にビジネスの原理を導入するにはもっと慎重にならなくてはいけません。

 

コロナ危機で通常の授業を行うことが難しくなった今、情報機器の活用を積極的にすすめることはよいことです。

しかし、AIによる個別化と個性化を無批判に受け入れることには危険が伴います。

振り返ってみれば、今まで私たちは一斉授業の中で、様々な個別の対応を工夫してきました。

それらをすべて捨ててしまっては私たちが本当に望む「未来の学校」にはたどり着くことはないでしょう。

 

個別化・個性化をめぐる議論は、画一・一斉から個別化・個性化へといった単純な図式だけでは考えることはできません。個別化・個性化が一つの教育方法であるならば、それは必ず功罪をあわせもつことになります。いや、功罪だけでなく、最後に見たように「功」に見える部分の裏側にこそ、危うさが潜んでいることさえあるでしょう。

(本書 「第2章 個別化・個性化された学び」 「未来の学校」への道筋になりうるか 「個性化・個別化」という理想の“前提”“内実””裏側“を問う 3 個別化・個性化への過剰期待に潜むリスク より)

 

目次

序章 新しいものにとびつく前に、当たり前をやめる前に

第1章 資質・能力ベースのカリキュラム改革 学校ですべきこと、できることは何か?

第2章 個別化・個性化された学び 「未来の学校」への道筋になりうるか

第3章 対話的・協働的な学び 新しい知と文化が生まれる学校を目指して

第4章 プロジェクト型学習 カリキュラムにおけるプロジェクトは「メソッド」の再来

第5章 インクルーシブ教育 「みんなちがって、みんないい」の陰で

第6章 教師による「研究」 「仮説―検証」という呪縛

第7章 外国語コミュニケーション

第8章 大学入試改革 それで高校教育は本当に変わるのか?

第9章 エビデンスに基づく教育 黒船か、それとも救世主か

第10章 社会に開かれた教育課程 カリキュラム・マネジメントと「地方創生」

座談会 いま一度、立ち止まり、語り合っておきたいこと

おわりに

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