退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

「レイニー河で」ティム・オブライエン著 村上春樹訳

ロシアがウクライナに侵攻を開始して2カ月になりました。現在はマリウポリでの攻防が続く中、ロシア軍の民間人への残虐行為が次々と明らかになっています。

「同志少女よ、敵を撃て」を読み終えて、再読したのがこの「レイニー河で」です。著者のティム・オブライエンベトナム戦争を体験したアメリカの作家です。この作品は連作短編集「本当の戦争の話をしよう」の中の一作。道義的に賛成できない戦争に徴兵された若者の心情を描いた作品です。

 

私が子どもの頃、テレビでは毎日のようにベトナムでの戦争の様子が報道されていました。日本で徴兵を拒否した兵士たちを支援する活動が紹介されていたのも覚えています。そこで感じたことは、大義に賛同して戦う兵士と、反対の意思表示をして離脱する兵士がいるということでした。しかし、今思い返してみると、自分の認識には大きな欠落があったことに気づきます。大部分の兵士は、その二つの間の葛藤を抱えて戦場に送られたのだろうということです。

 

この物語の若者(おそらく著者の分身)も、戦争反対の意思を抱えながらも、自分の面目を保つために戦争へ行くことを決めます。小舟でカナダへ逃亡するか戦争に行くかという選択肢の間で引き裂かれる様子が描かれます。ティム・オブライエンの文章は強い力で私たちの心を揺さぶります。

 

その小さなアルミ製のボートは私の下でゆるやかに揺れていた。風が吹き、空が広がっていた。

私はなんとか自分自身の存在をボートから放り出そうとした。

私はボートの縁を掴み、前に体を傾けてこう思った。さあ今だぞ、と。

なんとかやってみようとした。でもそれはどうにも不可能なことだった。

私の上に注がれたすべての目 その町、その宇宙  そして私はどうあがいても体面を捨てることができなかった。観客たちが私の人生を見守っているように私には思えた。河面じゅうにそういう人々の顔が渦をまいていた。人々の叫びが聞こえた。裏切者! と彼らは叫んでいた。腰抜け野郎、弱虫! 顔が赤くなるのが感じられた。私はあざけりや不名誉や愛国者どもに馬鹿にされることを我慢することができなかった。たとえ想像の世界だけでも、岸から二十ヤードしか離れていないその場所にあっても、私には勇気を奮い起こすことができなかった。それはモラリティーとは何の関係もない。体面、それだけのことだった。

そしてそこで私は屈伏してしまった。

 俺は戦争に行くだろう 俺は人を殺し、あるいは殺されるかもしれない それというのも面目を失いたくないからだ。

 私は卑怯者だ。それは悲しいことだった。そして、私はボートのへさきに坐って泣いていた。

 泣き声は大きくなっていた。私は声をあげて、激しく泣いていた。(本書63ページより)