退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

なぜ書くのか

昨日はSくんと博多駅で飲んだ。Sくんは昨年担当した1年次教員。仕事以外でもこんな風に誘ってくれるのはうれしい。夏に結婚する予定で、式に参加してほしいという話だった。おめでとうSくん。1年目はいろんな悩みが多い様子だったけど、すっかり成長したね。

文章を書くことはそんなに好きではなかった。学校で出される感想文、小論文は原稿用紙のマスを埋め、ただ悪目立ちしないような言葉を、習った順番で並べる作業だった、もちろんそれは役に立った。高校の教員になり国語を教えて何年かしてからやっと、自分の文章を書いてみようと思った。(井戸川射子 芥川賞受賞エッセイより)

私は毎日書いている。朝、学校に着いたらその日の指導案を受けとる。まずは、教師用指導書を読んで、その教材の特徴、指導のポイントをどんどん書き出す。書き終わったら、そのメモにラインを引く。読むだけでなく書くことでやっと理解できるから。

時間になったら教室に行って、授業を見ながら教師の発問、指示、子どもの発言、活動、表情などを書きとめる。その後は、放課後の授業者との面談までにレポートを書く。良かった点、更によい授業にするための助言。相手から、「なるほど」と思われたいので、一生懸命書いているが、うまく書けたと思うことは少なく、何か足りないと感じることの方が多い。書くことは難しい。

休日には自分のために書く。本、美術、映画、音楽など、自分が考えたことを形にするために。しかし、上手く書けないことの方が多い。それでも書き続けているのはなぜだろう。思い出が消えてしまうのが嫌だからかもしれない。

どれだけ書いても充分ではなく、思い出は強く私を抱きしめるが、私の中でどんどん変化し、いつか私と一緒に消えてなくなってしまう。それが嫌で書いている、私はわすれっぽいのだ、だから私は、最後まで私を包んでくれるだろう思い出を、それを保有する頭で思いついたことを、書き残しているのだ。書くということは楽しく心強いことを、見つけられてよかった。(井戸川射子 芥川賞受賞エッセイより)

北九州市 2023年1月