退職教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

子どもの言葉から「言語の進化」を考えた

連休初日は大濠公園のロイヤルガーデンカフェでブランチ。

ここは本当に居心地のよいカフェです。

湖面をすべる巨大な「白鳥」を見ながらコーヒーをいただきました。

夜は久しぶりの「中州ジャズ」。川沿いのオープンステージで山本剛トリオの「ミスティ」が聴けました。あの力強いタッチのピアノは健在。ありがとう山本さん、次の機会にはLPレコードを持参しますので、サインをお願いします。

 

「ことば、身体、学び 『できるようになる』とはどういうことか」(為末大、今井むつみ著)を読みました。

目次

第1章 ことばは世界をカテゴライズする

第2章 ことばと身体

第3章 言語能力が高いとは何か

第4章 熟達とは

第5章 学びの過程は直線ではない

 

ずっと気になっていることがあります。小学校の授業で子ども同士が教え合いをするときに、「ここをスイっと動かして、パッと下げれば答えが出るよ」などと言ってるのを聞いて、それでは伝わらないだろう、と思っていると、相手の子は「あっ、分かった!」と納得した様子で再び解きはじめることがあるのです。教師が多くの語彙を使って分かりやすく伝えるよりも、子どもが少ない語彙をその他の言葉で補って伝えた方がより効果的な場合もあるということでしょう。

「言語の進化について少しお話すると、最初は単なる音の模倣で、ジェスチャーとあまり変わらないようなものですが、ことばとジェスチャーのいちばんの違いは記号性にあります。 記号というのは、システムの中ではじめて意味をなすわけです。つまり、ジェスチャーは単体でわかりやすいのですが、一方、記号は、記号A、記号B、記号Cをどのように区別するかということによって、A、B、Cの意味が生まれます。」今井むつみ

子どもたちは少ない語彙を補完するために、自分たちで「ことば」を創り出して伝え合っていたのかもしれません。子どもたちの発する言葉を尊重しつつ「さんすうのことば」「おんがくのことば」「たいいくのことば」などとつないでいくといいですね。