スイスのコンサートの終了後、楽屋で意識がなくなった小澤。
村上は医者が来るまでの間、どうしていいのか分からず必死で小澤の手足をこすり続ける。
やっと意識を取り戻した小澤からことの顛末を聞く。
手術後は消化によくないものは食べないように医者から注意を受けていたのに、いただいた赤飯が美味しそうだったので食べてしまった。
「子どもがそのまま大きくなったような部分がこの人にはあった」
村上と小澤の共通点は夜明け前の時間が好きだということ。
小澤は楽譜を読み込む。音楽の深いところまで入り込んで。
村上は意識の深いところまで下りて行って小説を書く。書きながら時折小澤のことを考える。
「そんな貴重な『夜明け前の同僚』が今はもうこの世にいないことを。心から哀しく思う」
「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」小野寺拓也 田野大輔著 岩波ブックレット
ドラマ「不適切にもほどがある!」の阿部サダヲの台詞、「正論よりも極論」はいろいろ考えさせられる。
コンプライアンス重視の正論はもう聞きたくない。ルール無視の極論に思わず拍手を送りたくなる自分にハッとする。
これは自分が嫌いなトランプ支持者と同じではないか!
「ナチスはよいこともした」というのも似ているところがある。
もうみんな正論は聞き飽きているので、違うことを言う人に注目してしまう。
みんなは知らないでしょうが、実はこんなこともあるのですよ。それを私は知っています。私の話を聞きなさい。
「退屈」の反対は「楽しい」ではなく「興奮」。人々は興奮を求めている。
今、私たちに必要なのは、不確かな情報からの興奮を求めることではなく、歴史学者の丁寧な語りに耳をすますこと。