退職しない教員の実践アウトプット生活

教育、読書、映画、音楽の日々雑感

母の話 福岡の生活史

今は長谷のダムがあるやろ、あそこの底に家があったとよ。学校までは遠かったよう。裸足で歩いて行きよった。香椎小学校まで。遠いやろう。よう歩きよったね。だけん今も元気なんかもしれんね。

農家たい。何にもなかった。店とかあるわけないよ。お菓子とかあるわけないよ。芋とか食べるくらいやね。でもコメはあったね。戦争があって食べるものがないころやったけど、コメだけはあったけんよかったね。町から人が来よったのは覚えとう。食べるもありませんか、って言いよんしゃった。

お菓子はなかったけん、おはぎとか食べるときがうれしかったね。売っとるわけないやん。家で作るとよ、小豆も育てよったけんね。小豆は収穫してから干しておくとよ。乾いてからたたくやろ。そしたら小豆が出てくるとよ。それば茹でてね。砂糖は買ってきよったみたいやね。それはつくられんよ。おはぎはおいしかったね。

筥崎宮放生会には行きよった。歩いて行ったよ。香椎まで歩いて、そこから箱崎までずっと歩いた。よう歩いたと思うね。店がいっぱいあったけんうれしかった。お菓子も買ってもらった。

イノシシもウサギも見たことなかったね。今は人がおるところに出てくるけど、その頃は出てこんやったね。山の中に食べるのもがいっぱいあったけんやろうね。

蛇は見たね。ごはんば食べよって上ば見たら天井の梁のところば蛇がはっていきよった。大きい蛇。びっくりした。こわかったね。家にはねずみがおったけんね。それば食べよったちゃろうね。鶏の卵も食べられたことがあったね。

小学校のとき姉妹みんながチフスにかかったことがあったね。不衛生やったけん、それが原因やろうね。九大病院に入院した。自分だけ元気やったけんひまやから歌ばうたいよったとよ。そしたらお姉ちゃんたちから怒られたね。ここで歌ったらいかんって言われた。

京都大原三千院 2025年5月